-メタ自然学の観点から-
ただ1つの自然と,ただ1種の自然・内・ヒト,そしてただ1つの自然のロゴス 自然システム論において,この自然が極小のミクロコスモスからマクロコスモスに至るまで動力学的ハイパーサイクル・システム -自己を不断に「再」生産することによってのみ存在することができるシステム- から構成されていて,それらの動力学的ハイパーサイクル・システムが進化することによって,自然システムそれ自身が進化してきたことが証明されました.地球上に棲息するあらゆるイキモノもまた,それぞれが1つの巨大な動力学的ハイパーサイクル・システムであると考えることができます.そしてそれらがまた運動しあい相互作用しあい共生しあって1つの生態システムを構成しており,それがヒトと共に進化することによって,わたしたちが住むこの自然環境が構成されてきたのです.
また,イノチあるモノ,ココロあるモノの本質でありところのイノチとかココロというものもまた,これまたそれぞれが1つの動力学的ハイパーサイクル・システムの存在であり,パトス・ロゴス・エートス・システムとよばれるものであることが,あるいはPDCAサイクルとよばれる行為論的ハイパーサイクル・システムを駆動する「技術システム」としての存在であることが解明されました.
多くの階層における「産業システム」の協働態としての「社会システム」 さて,ヒト社会に目を転じますと,ヒト社会の最小の構成要素であり社会構成の単位的存在者であるところの諸個人は,運動しあい相互作用しあって,1つの家族や1つの組織を構成しそれに帰属します.さらにそれらの諸家族や諸組織はまた,運動しあい相互作用することによって,最終的には最大の社会構成単位であるところの1つのポリス(国家)を構成していきます.
個人・家族・組織・ポリス,そのそれぞれが,自らを不断に「再」生産することによってのみ存在することができる巨大な動力学的ハイパーサイクル・システムとしての存在であり,それぞれがいわば魂としての「技術システム」を内在させることによってはじめて存在するものであることは今や明らかでしょう.それらは,それらを取り巻く環境すなわち時代の変化あるいは進化に適応するかたちで,自らを不断に変化させ進化させることができなければ,存続することができないのです.つまり,それらのそれぞれは全て1つの自己「再」生産システムすなわち「産業システム」としての存在であり,それらのそれぞれは全て「技術システム」を内在させることによって存在することができる存在なのです.
現代においてようやく,生物としてのヒトはただ1種であり,自然権としての基本的人権を有する,ということが証明されました.これによって,戦争やテロとは,ヒトがヒトに対して行う殺人でしかなく,いかなる意味においても不正義でしかなく,それは「復讐のロゴス」によって自らを滅びに至らしめる危険な道でしかない,ということが解明されたのです.動力学的ハイパーサイクル・システムが存在できるのは,その構成要素において相互無危害性と相互善行性の原理が十分に機能している場合に限る,ということが証明されたのです.
「社会システム」の老・病・死のリスクを孕むものの克服を 現代はまた,自然に内在し,太陽をその誕生以来50億年の永きにわたって太陽であらしめてきた巨大なエネルギー源としての核エネルギーが,新しい「プロメテウスの火」が,原子兵器として,人類を滅ぼすにたる最終兵器として,登場した時代でもあります.さらに,大量殺戮兵器として生物兵器,化学兵器が登場しています.いま「復讐のロゴス」を発現させることは,そのまま人類滅亡という最悪の事態を招くことになります.したがって,今わたしたちが個々人としてできることはまず自らの内に潜む「無知・貧困・野蛮」をよく制御することであり,あらゆる組織が,そして全てのポリスが,正義と友愛の原理に立った「節度」をもち,自らの内なる「無知・貧困・野蛮」を滅ぼすべく努力することでしょう.
より具体的にいえば,わたしたちの現代の「産業システム」とその魂であるともいえる「技術システム」が解決すべき緊急課題とは,自然環境問題とりわけエネルギー生産システムに係わる問題,ヒト個々の人びとが内包する自然における諸問題つまりは医療システムの問題,産業システムのより安全かつ効率的なものへの転換,そして最も大きなところでは,核戦争の回避であり,窮極には,自由・平等・友愛・平和な世界自由市民社会の実現に至る道の探究,であろうと思われるのです.
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