アナーキー:あらゆる支配から自由であるということ
アナーキー(anarchy)とは,「無」政府主義者と訳されますが,それはギリシア語でanarkhosつまり主人を全くもたないことの意です.それはむしろ,自由への指向性なのであって,さんざん言ってきたように,自由とは,支配されることと「同時に」また支配することへの拒否,でもあったのでした.
少数者が多くのヒトを一方的に支配しようとすれば,必然的に暴力すなわち「死の恐怖」をもたらすものすなわち「武器」をもってこれを行わなければなりません.いかなる強制的な支配も,最終的には暴力すなわち「力の意志」をもってすることになります.したがって,自由であることは,一切の暴力すなわち「力への意志」の完全な否定,をともなうはずです.ホントのアナーキーというのは「武器よさらば」なのです.
権力(政府=government)って,統治する(governance)ことからきていますが,結局は「暴力(軍隊や警察)」つまり「力の意志」あるいは「死の恐怖をもたらすもの」(武器)」によって,他者を支配するものでしょう.アナーキーとは,そうした「力の意志」によって,つまり少数者が暴力(死をもたらすもの)によって,死をもたらすモノ(兵器)が人びとに呼びおこす「死の恐怖」によって,多くの人びとを支配することの,完全な否定です.
アナーキーすなわち無秩序,というのは誤解です.アナーキーとは単に主人をもたないことでした,それは誰もが自らの主人であると同時に誰も他者にとっての主人でもないことであり,それは自由であることです.
アナーキーとは,デモクラシーの概念そのものなのです.自生的な秩序ある自由であり,自由かつヒトとして平等対等な関係性において<ある>ことです.それは当然,自発的同意に基づく自治あるいは自律であり,それは当然,個々の自立・独立性を前提とすることになります.アナーキーの行き着くところは,民主制の理想であるところの,自由・平等・友愛の原理の実現,なのです.
アナーキーって,万人が自由であってしかも無秩序じゃないことですが,じゃ,なにがその保証になるのだ,ということになると,それは「法・治」の概念です.世界自由市民たる万人が,自由・平等・友愛つまり相互無危害性原理と相互善行性原理を旨とする「ただ一つの自然法」に服すること,なのです.ただ一つの自然における存在の法,相互無危害性と相互善行性,それが人道でありヒトのヒトとしてよく生きる,その道であります.今や,自由・平等・友愛の理念は,世界人権宣言に結実しています.それに反するいかなる行いも,あらゆる無道や非道は「人・道」に対する罪で裁かれるであろう,ということです.
具体的には,巨大国家の軍を全部解体して,国連警察軍に集中し,それだけが,人道に対する罪を犯した人びと,つまりポリスの独裁者たちや戦争やテロを引き起こした犯罪者たちを逮捕し裁判にかけることができる,というような「世界自由市民社会法 -基本的人権を侵害せざる限りの自由- 」という名の「ただ一つの自然法」だけが機能する,そのような世界になれば,それこそが国家の死滅であり,ホントにいいのでしょうが,それが実現するにはまだまだ時間がかかりそうですね.