現代の言語空間に巣くうミーム(meme)たち
近頃は,異種の観念やイメージの合成も,キメラ,と呼ばれるようです.鷲(勇敢)のイメージと蛇(知恵)のイメージを合成して,狡猾さ(知恵の負の側面)と野蛮さ(勇敢の負の側面)をもつ,空想上の動物であるキメラを合成してしまう.それと同様に,観念やイメージも合成されて,キメラ現象を引き起こすことができるのです.
これに関連して,ミーム(meme),という概念があります.そもそもコトバには,自然のモノと,自然のモノが持つその本質とを,結びつけるハタラキがあります.「梅干し」というコトバを聞いただけで,あるいは「梅干し」という記号を見ただけで,私たちは唾液が出てくるほどに,その酸っぱさを感じてしまうのです.梅干しというモノが「梅干し」というコトバによって梅干しが持つわたしたちにとっての自然本性であるところの「酸っぱさ」を想起させるのです.
モノ←コトバ→モノの本質あるいは機能,つまり,コトバは,モノ(個物,梅干しというモノ)と,そのモノの本質あるいはその機能(私たちにとっての酸っぱさ),とを媒介するはたらきがあります.インターネット上では,コトバ(記号)が飛び交っているだけですが,このコトバのもつミーム機能が,モノと,そのモノの本質(機能)とを,結びつける機能があることによって,わたしたちは用足しすることができるのです.
ミーム(meme)を最初に言いだしたのは,当時は遺伝学者だったドーキンス(Dawkins)です.彼は『利己的な遺伝子』(selfish gene)という本で有名になりました.生物は遺伝子の集合体で,遺伝子が生物の「行い」の様式を決定しているというのです.ヒトのロゴス的行動の場合,その遺伝子(gene)に対応するのがミームで,これはギリシア語のミメーシス(mimesis,模倣と訳されることが多い,再現という意味もある)から出た概念で,遺伝子と同様に自己を何かにコピーさせて自己増殖できることができるものを称する用語です.
典型的には,コンピュータ・ヴィルスがそうです.それはコンピュータに送り込まれると,自己をヒトやコンピュータにコピーさせて自己増殖し,インターネット空間に広がって行くのです.
コンピュータの代りにヒトを考えてみましょう.ミームとは,まるでイキモノであるかのようにヒトにとりついて,自己増殖する「ロゴス(コトバ)的な単位的存在者」のことです.簡単にいえば,「リンゴ」って言葉を考えてみればよい.それは現実のリンゴがヒトの世界に広まると同時に,概念としても人びとの間に広まっていくでしょう.それはヒトの脳にとりついて,現実のリンゴが存在する限り,ヒトの社会に存在し続けることができます.そうしたロゴス的単位を,文化あるいは文明の「生きた」構成要素として考えることができるでしょう.
「リンゴ」というコトバ(文字列)は現実に存在する果物に対応しています.それとは違って,「キメラ」は現実の動物ではないのに,あたかも実在するかのように人びとの脳に住み着いています.いわゆるそれを「幻想する」ことができる「空想のみ」の存在だが,細胞融合でできたポマトなどがキメラと呼ばれることによって,「キメラ」というコトバは,自然学的には一応の存在資格があります.
「万緑叢中紅一点」.緑一面の中に,赤い花が1つでもあるとそれが人目を引きます.花はそうして昆虫たちにメッセージ(ミーム)を送り続けてきたのでしょうね.ここに花粉があるよ,食べてもいいけど,ちょっとだけ他の花にも運んでちょうだい,と.そのミームがヒトの脳にも巣くっているのかもしれないし,ヒトをはじめとした動物の血もまた赤いから,それが人目を引き「危険」というメッセージ(ミーム)を送り続けてきたのかもしれません.