大日本「帝国」における人種差別

 

2次世界大戦の当時は「鬼畜米英」とか,「チャンコロ」とか「チョン」とかいっていました.これが人種差別や植民地支配に反対した,とはとてもいえないと思います.当時警視庁の警視だった「正力松太郎」は,関東大震災で当時は立派な「日本国民」であったはずの朝鮮人虐殺を指令した,といいます.大日本帝国が,最初に戦争をはじめたのは当時独立国だったはずの中国大陸で,そこでの戦死者はほとんどが中国人でした.それを「鬼畜米英」が非難したので,いわゆる太平洋戦争に突入しました.動機からすれば,とても植民地支配をたたきつぶしたなんていえませんでしょう.

「海ゆかば水漬く屍」という歌は古代国家の軍団の長,大伴家持の作ったもので,「大君の辺にこそ死なめ,顧みはせじ」と古代国家と全く同じように,大日本「帝国」の兵士たちも死んでいきました.

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