現代の戦争は人類滅亡に至る道でしかない.

 

現代で戦略の優劣をいうなら,最初に核攻撃で軍事基地を叩け,それでオシマイです.しかし,そうすれば相手もまた核攻撃してくるでしょう.結局は,ホンキの侵略戦争には,「人類絶滅」という「恐怖のシナリオ」しかありません.通常兵器は,結局,相手が核武装していない,ということが確実である場合にしか役立ちません.つまり,核武装国を通常攻撃では侵略することできないのです.

わたしは「戦(いくさ)」とか「争(あらそい)」というコトバが大嫌いだから言っているのです.自然の事物がわずかな間だけでも存続できるのは,相互無危害性および相互善行性原理にあるのです.それは,お互いがお互いを傷つけることなく,お互いがお互いを助け合うこと,要は,「あたりまえ」の人間関係のことです.

身内の戦や争いは自らを滅ぼす種にしかなりません.ヒトがただ一種であるということは自然学的に証明済みのことです.戦(いくさ)も争(あらそい)も,自ら,つまりただ一種のヒトを,自ら滅ぼす,つまり自滅の道でしかないということです.

 

コトバはキチンと定義して使わないとそれこそ「争(いさかい)」のもとになります.軍人だったクラウゼヴィツの「自己合理化」つまりは「大嘘」を真面目に信じたらヒドイ目にあいますよ.

「戦(いくさ)」とは,「軍(いくさ)」のことです.それは武装した兵士たちの集団です.つまり「軍団」のことを「戦(いくさ)」という.

「戦・略」とは,「戦(いくさ)」を率いるものつまり将や帥の「計略」のこと.「軍・略」ともいう.

「戦・術」とは,「戦(いくさ)」を実際に行うものつまり現場の戦士たちの行う「術」のこと.矛や槍や弓などの武器や楯などの武具を実際に「争(いさかい)」に使う「術」のこと.槍「術」とか剣「術」とか柔「術」とかいうでしょ.

会社が「経営『戦』略」とか「営業『戦』術」なんていうのは,会社を「戦(いくさ)」に,会社員を「戦・士」に見立てて,会社員を経済「戦争」に駆り立てているのと全く同じです.

国家が「国家『戦』略」とか「国家『戦』術」なんていうのは,国家を「戦(いくさ)」に,国民を「戦・士」に見立てて,国民を国家間「戦争」に駆り立てているのと全く同じです.

核戦争は実は「戦・争」 -「戦(いくさ)」と「戦(いくさ)」との「争(いさかい)」つまり武装した「戦」士の集団が,あい「争」うこと- ですらありえません.それは人類全体の無差別な「殺戮」にすぎません.ボタン一つで,「戦・争」どころか直接簡単に「人類絶滅」が起ってしまうでしょう.

この地球上には人類を1000回以上滅ぼすことができる量のウランやプルトニウムが現に存在しています.日本でも,福島第1原発だけですでに,広島・長崎型原爆の数百発分のウラン,プルトニウムがあって,その約百発分程度の核分裂生成物(いわゆる「死の灰」)が大気中にばらまかれました.その100倍以上の,諸外国が怖くて手を出せないほど十分な量のウランやプルトニウムが,日本には現に存在しています.

これは何の冗談でも何のプロパガンダでもなく,すでに万人公知の原子力白書にも載っていてIAEAに報告されている「事実」です.この「歴然たる事実」を全世界に公然と認めるなら,日本には,とても怖くて誰も手を出せなくなるでしょう.

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