古代の「産業システム」と「技術システム」
プロメテウスの「火」とヘラクレイトスの「火」 ヒト発生以前には,サハラ(今は砂漠だが)だけでなく,アフリカ大陸全体にもヨーロッパ全体にも,大森林が広がっていた,といわれています.大森林を滅ぼしたのは,プロメテウスがヒトに与えたといわれる「火」です.大森林地帯で焼き畑が広範囲に行われると,次々と大森林は加速度的に失われていき,急速に砂漠化しました.
ペルシア戦争でも,ポエニ戦争でも,大船団が建造されたときには,地中海沿岸に広がっていた大森林が次々と伐採され,船材として消費されました.そのあげく,今のリビア,当時はカルタゴおよびヌミディアといっていましたが,この大農業地帯,ヌミディアは馬の大生産国で,ハンニバルがローマをほとんど制服しかけたのも,この馬を使って騎馬軍団を作れたからだったのですが,もまた次第に衰退していったのです.
反対に,チェルノブイリ原発の事故でヒトが住めなくなった跡などは,次第に自然が復活してきているそうです.これも巨人プロメテウスのもたらした「火」のなせる業でしょう.プロメテウスの「火」は「共生のロゴス -正義と友愛-」においては全てを活かすエネルギー源になるとともに,「復讐のロゴス -憎悪と戦争-」においては,全てを滅ぼし尽くすヘラクレイトスの「火」ともなるのです.
新石器時代から,青銅器時代を経て,ついに「鉄の時代」へ (新)石器時代,青銅器時代,鉄器時代,という有名な時代区分があります.青銅器時代の前には,銅器時代があったともいわれますが,定かではありません.この時代区分をもたらしたものが「技術システム」の進化であり,その進化を可能にした原動力こそ,プロメテウスがもたらしたといわれる「火」でした.
「火」によって,錫(これは「白磁」の原料でもある)が発見され,銅との合金である青銅が発見され,青銅器時代になってはじめて「鋳物技術」ができて,鼎などの「祭器」が作られ,ようやく巨大な造形美術品ができるようになりました.殷文明の存在は,この青銅器によって,つまり「鋳物技術」の存在によって,後世に記憶されています.
わたしの父も鋳物工で,工場で木型を作っていたのを見たことがありますが,木型で骨組みを作り,粘土で下地をつくり,そこに蠟で精細な形状を表現し,さらにそれを粘土で覆って鋳型を作り,そこに熔けた金属を流し込むのがその1連の工程です.そうした諸工程には,それなりのホモ・ファーベル(制作者)の創意工夫が生きていて,それはやはり造形のための「技術システム」の存在,であったわけです.
鉄器時代がはじまるのは,メソポタミアのヒッタイトがB.C.1100ころといわれています.中国では前漢の頃です.それ以前に精細な石刻は,とても無理だったでしょう.つまり,たった1つの造形美術品といえども,それが成立するにおいては,ホモ・ファーベル(制作者)の「魂」ともいうべき「技術システム」が,その根底として時代的普遍的に存在していなければならなかったはずです.
ポリスの興亡の時代へ ヒトが地球上に拡がりはじめてから後,1万年単位あるいは数千年単位で大きな民族大移動があったといわれます.1万年どころか,10世代もたてば,言語・文化・習慣もほとんど変ってしまっていますから,そこで侵略だ,征服だ,戦争だという無益な争い不毛な争いが起ってしまったことでしょう.むろん,いろんな争いがあったのでしょうが,結局上下差別はともかくも部族間の「融和」ができて,より強大な都市(ポリス,城郭都市)を作った連中が,発展し生き残ってきたのではないでしょうか.
古代においては,ヒトは死して土に帰り,また土から生まれてくる,というのが普遍的な思考法だったのかもしれません.古代ギリシアでも,竜の歯を土にまいたら,それがヒトになって,それが殺し合いをして,生き残ったのがその都市(テーバイ,戦争好きで有名)の住民になっていった,というのがあります.これをミュルミドン(蟻)人といますが,まるで兵隊蟻の殺し合いすなわちアリ社会同士の戦争みたいですね.この神話が象徴するように,「鉄の時代」とともにはじまったポリスの興亡の時代は,強大なイキモノとしてのポリス同士の「殺し合い」すなわち「戦争」の時代のはじまりでもありました.
イエスの生きた時代もポリスの興亡の時代でした.エルサレム地方の諸ポリスは,抗争による興亡を繰り返して,結局は,ローマに滅ぼされるまで,それは終わりませんでした.「右の頬を叩かれれば左の頬を差し出すがよい」という正義と友愛の原理の主張は,弱気のようですが,むしろ勇気のいることだったでしょう.イエスは,罪なきに罰に服してしまう,ということを実践しました.つまり罰を恐れて逃亡することによって結果的に罪を認めてしまうことよりも,罪を認めず自ら進んでハリツケになったといわれます.これは「目に目を,歯には歯を」を当然のこととする当時の人びとにとっては,一種のショック,だったでしょう.プラトンにショックを与えて彼に「愛知の業」に目覚めさせた「ソクラテスの死」ときわめてよく似ていますね.
罪すなわち不正に対して,もっと大きな罪すなわちより大きな不正によってそれに報いようとすれば,それこそは「復讐のロゴス」を呼び覚まし,自滅への道となるのです.小さな罪に対しては許しを,小さな不正に対しては寛容であること,忍耐,忍従,それが個々や小集団の「生き残り」への唯一の方法だったのです.それが地中海世界における,自然の神的なロゴスの発見,なのです.
それはインドでも全く同様でした.ゴータマ・ブッダが生きた時代,それもまた古代都市ポリスの興亡の時代でした.実際,ゴータマ・ブッダを輩出したシャカ族のボリスは後に滅び去るのだし,後世に成立した大乗経典(いわゆる「お経」)にもよく出現するゴーサラ国とかマガダ国なんかも,結局は,アショーカ王が作った大帝国に滅ぼされてしまいます.「恨みによって恨みに報いれば,苦しみは止むことがない」といわれるその所以です.不正によって不正に対抗しようとすれば,それもまた結局は「復讐のロゴス」を呼び覚まして,滅びへの道となるでしょう.それがインドにおける,自然の神的なロゴスの発見のはじまりでした.
自然祭祀から,自然におけるただ1つのロゴスの存在の気づきへ 古代の自然祭祀においては,万物を産み育むものとしての自然神,豊穣と再生を司るとされたものだけでなく,災害神,破壊と老・病・死を司るとされたものあったし,少数のヒトが多数のヒトを支配し命令することを正当化するための人格神,つまり支配者の命令を「天の命」として合理化するために祭られた神々,支配者はこうした神の子孫であるとされた,もあったことを忘れてはなりますまい.むろん,「死の恐怖」をもたらすものである「力による支配」には復讐がつきもので,「王の死」もまたあったのです.
善きものは,悪しきものと共にあったのです,光にはかならず影が沿うように.豊穣には貧困が,再生には再死が,賢慮には無知が,勇敢には野蛮が,共にあったのです.
自然祭祀は,今は,山岳「そのもの」の崇拝や河川「そのもの」崇拝,巨岩「そのもの」や巨木「そのもの」の崇拝にわずかに見られるだけです.また,自然崇拝の行き着くところは,いかなる偶像をも否定し,ただ1つの自然の神的なロゴスを崇拝すること,それしかないでしょう.
ユダヤ思想において偶像としての神が否定されたのは,エホバの神が自然のロゴスそのものの存在への気づきであり,スピノザのいうように,自然=神,だったからでしょう.自然は無限定であり千変万化し固定的なカタチを全くもたぬものですから,それを偶像であえて固定化しあまつさえ偶像を神として崇拝しようなどとすることは,自然そのものに対する不敬に他ならないのであって,キッパリと否定されなければならなかったのです.
したがって,ヒト=神の子,であるようなキリスト教は,ユダヤ思想にとっては,明らかな異端であり,それ以外の何ものでもなかったでしょう.だからユダヤ思想,自然崇拝思想に影響を受けた人びとにとっては,いわゆる芸術品などを飾ることなどは,一種の偶像崇拝とみなされかねなません.ユダヤ人は金持ちだといわれますが,彼らの多くは質素な全く飾り気のない生活をしてきました.自然を「埴生の宿」とするものは「玉の装いうらやまじ」というわけでしたでしょう.
古代「技術システム」と「パンドーレーの物語」 古代「技術システム」の存在を説くヘシオドス『仕事と日』によれば,ヒトの祖先は,プロメテウス(先見性をもつもの)ではなく,その弟のエピメテウス(後知恵しかもたなたいもの)なのです.プロメテウスは,自然の神的なロゴスを体現する「火」を,神々から盗んだ罪によって神々に永遠に罰せられることになりました.その代りに人類の祖先となったのはエピメテウス(後知恵をもつもの)でした.
火を人類にもたらした巨人プロメテウス,その弟であったエピメテウスに,神々の長であるゼウスから贈り物が届きます.それがパンドラ(パンドーレー)とパンドラの箱と,でありました.プロメテウスは後難を恐れて,それらをゼウスに送り返すように弟にいいます.しかし,エピメテスウスはパンドラに目が眩んで,いうことを聞かず,それを妻にしてしまいます.
あとはご存じの通りのことで,パンドラの箱が開けられ,あらゆる災厄が地にはびこり,ヒトは不死なるモノ(神)であることはもうできなくなって,死すべきモノになってしまいまた.彼女がパンドラの箱を開けたがゆえに,あらゆる不幸や災厄が世の中に広がったのです.
「永遠に生きること」つまり「神的であること」へのあくことなき「希望」,それだけがパンドラの箱の中に「神々の贈り物」として最後まで残されていて,ヒトはそうした「希望」 -不可能なことをあくまで望もうとすること- をあてにして,結局は「永遠に『苦・労』する」という羽目に陥ってしまった,というわけでしたね.ヒトは結局,「先見性」をもつ「神に等しいモノ」では全くなくなり,わずかな「後知恵」によってのみ生きるものとなりました.ひとは,次々と起こる不幸や災厄に耐え,今度こそは失敗すまいと毎回思うが,しかしそれはまた空しいかもしれないという「希望」に頼って生きるしかなくなった,というわけです.
しかし,今や,この自然においては全ての個体が「死すべきモノ」でしかないことは明らかです.死すべきモノすなわち老・病・死すべきヒト,として「自然と・共に・よく・生きる」ことこそが,ヒトが「種としては」永遠に生きることができる,その唯一の道なのです.そのことつまり,死すべきモノとして「よく・生きる」ための法,自然法,あらゆるものが「動力学的ハイパーサイクル・システム」として「永遠に運動し続ける」ことができるということ,は自然の開闢(ビッグ・バン)以来,まったく変わることがないのです.
インチキ「科」学の温床としての黄金時代伝説の廃棄 古代に「実は」今より高度な文化があったという,ヘシオドスにはじまる「黄金時代」伝説には,きわめて根深いものがあって,神による「天地創造」と同様に,これをまず一掃しないと,ホントの意味での自然学ははじまりません.自然は,自然の事物自身がする,一歩一歩の,地道な「よく・生きる」努力の,138億年にもわたるその積み重ねによって,はじめて進化してきたのですからね.
この「現代の常識」をくつがえすことは,今や,だれにもできないし,また,この世で「自然と・共に・よく・生きよう」とすれば,自然のロゴスを偽ることは,決してしてはならないことです.むしろ,わたしは,この自然および自然のロゴスに関するより正確な「常識」を,万人に役立つ,より簡単明瞭な「良・識」すなわち「よき・技術システム(techno-logos-system)」として整備し,後世に引き継ぎたい,という思いで「今・ここ」にいるのです.
さらなる問題は,日本語感覚にも漢語つまり中国語感覚があまりにも深く浸透していること,でしょう.明治時代,西洋語が大量に輸入されたときに,漢語ではなく,むしろ仏教用語が利用された,ということは,インド仏教がいわゆる西洋文明により近かった,むしろその根っこを共有していた,東洋と西洋とは,インドを軸にして,もともとつながっていた,ということだったのではないでしょうか.
自然・内・循環運動(ハイパーサイクル)を利用する古代「技術システム」の存在 わたしは技術の起源として,直線運動を円運動に変える装置,つまり轆轤とか車輪とか,に関心をもっています.日本では,車輪が活用される場面って,ずいぶん遅かったのではないかしら.ネジが機械に分類されたのも,回転しながら進む「しくみ」は,道具というよりはむしろ機械に分類すべきだ,と思われたからかもしれません.
ギリシアやインドでは,車輪は戦車に使われました.中国大陸でも,戦国時代は戦車の兵器としての利用からはじまった,といわれています.千乗の君とか万乗の君とかの「乗」は戦車のことです.要は,戦車を沢山所有していた奴が,「覇者」「覇王」とか「皇帝」とか,称したのです.
日本じゃ,戦車がぶつかり合うような広くて乾いた場所は,とてもありませんからね.当時の日本は,平野といっても一面の「豊葦原瑞穂の国」つまり湿原だったから,戦車が役立つような場面はなかったでしょう.それがかえって平和でよかったのかもね.