ヨーロッパ中世においては,技術者あるいは職人が,芸術家でもあった 中世の画家あるいは芸術家というのは,一種の技術者であり職人でありましたし,ルネサンス時代とはいっても,結局そのスポンサーは,王侯・貴族・僧侶であって,彼はいわば「雇い人(ありていにいえば時間奴隷)」としてその「技術」を発揮して生活するしかなかったわけで,それが写実性というよりはむしろ一種の「切実さ」,「真剣さ」つまり「生への強い意志」が込められており,それが「美の躍動感」あるいは「緊張感」を作り出しているのではないでしょうか.彼がもし「手抜き」などして下手な絵を一枚でも書こうものなら,その生涯の一切を失うことにもなっただろうし.
そうした切実な営みに対して,現代に求められるような「新しき・大衆芸術性」とでもいえるようなもの,つまり「大衆の多種多様な無垢自然なココロ(いわゆる「子供心」)の満足」いわゆる「シロート・アソビ・ゴコロ」的な「感動」,子どもたちが河原で彼らが美しいと思う石を拾ってそれに感動しているような,ものまでを求めようというのはいささか酷である,とわたしには思われます.そうしたこと「のみ」を追求すると,結局,美辞麗句と目先の利益で煽動して大衆を誤った方向に導こうとするデマゴゴス(大衆煽動家)と同じこと,アソビゴコロを煽るだけの悪しきポピュリズム,単純な簡素な自然の美の理想の,その滅びに至る道,になってしまうでしょうしね.
趣旨とはちょっとはずれるかもしれないが,ブルノー・タウトが褒める「日本的」建築が,多くの人びとにとってはけっして安全なものでも住みやすいものでも便利なものではなかった,単なる貴族趣味の「別荘」であり外見上の,いわば生活苦なき美意識,を追求する場にすぎなかった,いわゆる皮相なオリエンタリズムでありジャポニズムでしかなかったのではないか,という思いもあります.わたしには,「日本的なよさ」あるいは「日本人の感性」とよばれるものを,その裏面つまり影の部分にあった「無知と貧困と野蛮」の巣窟であるところの封建的「身分」制やそれの基になったであろう「家」制度,と切り離して単純に評価する,などというあまりにも無邪気な(と私には思える)ことがどうしてもできないのです.
光と影とは相い寄り添います.光あるところにはその影があり,その影にも「実は」多種多様な色があり,光はその影に支えられることによってはじめて「生きる」ことができるのです.レンブラントにはやはり<それ>が<ある>と思いますね.
日本の中世でも,技術者=職人=芸術家,であった ボストン(Boston)で,日本美術品のコレクションがあるというので見てきましたが,それらの第一印象は「暗い」,「せせこましい」でした.かえって,「根つけ」のコレクションに,それは最初から「小さい」がゆえにそこに「精巧さ」を追求していて,そこに「職人の魂」が籠もっているようにも思えました.
それらの職人芸とは,つまるところは,江戸時代の暗い町家の座敷の「小さな飾り」でしかなかったのでした.歌麿や北斎の版画だって,大量に印刷された版画であって,今でいえば,大衆のための消耗品だったのであって,それらは屏風などの「飾りもの」としての価値しかなかったわけです.それらが「なぜ」ジャポニズムの代表とされえたのか,当時のオリエンタリズムの流行の末路たるや,まことに不思議なものです.それを「日本人の感性」の代表にされたのでは,いくらなんでもちょっとねぇ,と思いますよ.
古代・中世・近代をしつこく生き抜いてきた「共同幻想」 古代,中世においては,石もまたイキモノである,と考えられたのです.日本でも,「サザレ石」が「巌」にまで「成長する」といういわば「全くの・迷信」が国歌にまでなって歌われているくらいですもの.「さざれ石の,巌となりて」とあるように,「古代・中世」の日本人は,石が成長するモノだ,と考えたようです.それが「(立派な)日本人の(立派な)感性」だったし,今でも日本国民にきわめてふさわしい「感性」,そうした立派な「感性」をもたないヒトは「非国民」ですらあるようなそうした「感性」になっているのではないでしょうか.
西洋でも,結晶とくに宝石や宝玉になるようなものは,Earth Elementつまり土の元素(プラトンの正6面体,立方体)の純粋なもの,つまり土のいわば「魂」であり,それはヒトの「魂」と共鳴することによってそれを持つ人の運命をも左右する,ともいわれました.むろん,それも結局は「迷信」なんです.
わたしが,鉱物にもイノチがある,という場合,それはその鉱物がもつ能動的な機能をいうにすぎないのです.全自然の全事物のそれぞれに能動性があって,全自然の全事物は,それぞれの機能を発揮することができる,すなわち全自然の全事物は「活・動」している,活きて・動いている,それが全自然の全事物にイノチがある,ということです.
玉石を磨いて,それを風化したように見せる技術もあるにはあります.でもね,寺の墓石,神社の狛犬なんかを見る限りでは,数十年もすると,雨風によって表面はザラザラ,結構風化していますよ.敷石なんかは明らかにすり減ってさえいます.陶器や石器が,雨風にそのまま曝されて千年も経っていたら,形骸を止めるハズがないでしょう.つまり,古そうに見えても,それが屋外で雨晒になっていたものなら,それは結構新しい(数十年単位の)もののハズでしょう.
ですから,ホントに古いモノは,結局は土の中に埋まって残されていたものです.そして,それがホントに古いものかどうかは,それが発掘された土の年代が推定できるとか(遺跡や遺構みたいに),実際に測定してみなきゃ,結局わからないでしょうね.
「死の恐怖」による「力の意志」の支配 M.ウェーバーの『古代ユダヤ教』に「血の絆(血の復讐)」というのが出てきます.マホメットを輩出してイスラーム帝国を築き上げた「ベドウィン」たちの人間関係は,氏族のためには「血には血をもって必ず復讐する」という,それは血の絆による「復讐のロゴス」の存在なのです.そして,自民族内の人間関係だけは友愛に満ちたものであって,他民族を「追剥する」のが,彼らのいう「(一方的)自由」だったのです.例の,オサマ・ビンラディン,もベドウィンの出身でしょう.
ヨーロッパでは,ローマ帝国,サラセン帝国,あらゆる帝国は,こうした「血の絆」による「復讐のロゴス」によって,つまり「死の恐怖」をともなう「力の意志」によって,多の民族や,それに対抗する力を持たない多くの人びと(大衆)を支配してきました.東洋では,漢帝国もまた,ローマ帝国,サラセン帝国と同様に,同民族内の血の絆,血の復讐のロゴス,すなわち,他民族に「死の恐怖」を与えること,によって「中原」を圧倒し,征服し支配してきたのです.
丁度1000年前ぐらいは,東洋では宋が世界文明の頂点にありました.鉄器が人びとの日常生活にまで本格的に普及しえたのは,この宋の時代でした.当時の宋は,世界最大最高の鉄器の生産国でした.その宋が生産しえた膨大な鉄器を武器にかえて,モンゴル帝国は世界征服をなしとげようとしたのでした.中央アジアのホラズムは完全に殲滅させられましたし,ロシア,サラセンも滅亡の危機に瀕したのだし,日本だっていわゆる元寇があって,鎌倉幕府はそれで衰亡の道に就いたのだし,武器の発達と侵略・戦争にはロクなことがないのです.平和時には生活の改善に役立つ「いわゆる」便利な道具も,使い方をまちがえて,自らを滅ぼす悪しきモノに変ってしまったのでした.現代の原発事故と,よく似ていますね.
その約1000年後に,ヨーロッパもまた2度の世界大戦で没落しかけました.ナチがユダヤ人を大量虐殺しました.ゲルマン人以外は劣等「人・種」つまりヒトでなしだからこれを虐殺してもよい,という論理,それが「血の絆」による「復讐のロゴス」でしょう.ロシアもまた日本人捕虜を酷使しその多くを死に至らしめました.それもまた「血の絆」による「復讐のロゴス」の発現でしょう.
西ドイツがんばって復興したことで,東西の壁が破れ,東西ドイツが統一されました.東側の「貧困」を抱えこんで,ドイツ自身が長い不況に苦しんだといわれます.だがその内実は,東ドイツの産業が壊滅的な打撃を受けたことだったので,実は,ドイツ産業自体はそうした「貧困(低賃金)」によってかえって繁栄することができ,ユーロ圏の中核国になることができました.
日本だってそうでしょ.新興財閥が中国大陸に富(利権)を求めて引き起こした第2次世界大戦によって,ほとんどの産業が灰塵に帰したのですが,もともと貧困だった人びとが平和裡に自由をえてよく働いたので,奇蹟の復興をなしとげることができました.高度成長は,わたしたち団塊の世代がよく働いたから成しとげられたのだ,といっても罰は当たらないと思うのですがね.
金持ちの支配者連中がさらなる富を求めて引き起こした戦争が,かえって自らの築き上げた富を滅ぼすのです.貧困な大衆が平和裡に自由に労働することさえできれば,その勤勉と誠実のみが唯一,社会的富を生産することができるのです.これが万古不易の自然学的真理なのです.
日本の中世・近代もまた「死の恐怖」による「力への意志」の支配の連続であった 日本にもまた平安時代末期から,武士の時代を経て,戦国時代があり,人びとは「血の復讐」のロゴスによって殺し合ってきました.平和といわれた江戸時代にだって,一揆があり,首謀者はそれこそ「首」になりました.そして明治から100年間は,日清,日露,第1次世界大戦,日中戦争そして第2次世界大戦と,それこそ戦争の世紀でした.鬼畜米英,つまり,日本人以外は同胞としてのヒトではないからこれを殺戮してもよい,という論理,それが「血の復讐」のロゴスです.
関東大震災後における「正力松太郎」のデマに発する朝鮮人虐殺だって,そうだったでしょう.南京における中国人虐殺も,規模の大小はともあれ,そうだったでしょう.朝日グラフで,日本刀で切られた中国人の首が飛んでいるのを見たことがあります.日本の平凡な国民が「血の復讐」のロゴスにとりつかれていた時代が,ごく最近まで,<実際に・あった>のです.
それが「戦争」つまり「殺し合いの場」という「好機」をえたらどうなります? 浄土真宗の始祖である親鸞は,「不殺害」を戒律とする「一応は」仏教徒のくせに『嘆異抄』で「千人万人も殺しつべし」とつぶやいています.
ヒトには,家族氏族同胞以外のヒトは,いや家族氏族同胞内だって,「やられたらやりかえせ」という「血の復讐」のロゴスをもって生まれてきているのです.「怒り」をキチンと制御することができないと,結局犯罪者になってしまい,社会生活はできなくなってしまうから,「身体に危害がなければ,一旦は我慢して,『もし』怒りを爆発させたばあいどうなるだろうか,その後をよくよく考えて行動なさい」が真っ先に教えられるべきことなのです.
現代日本の富裕層は「金持ちケンカせず」だからなんとかもっているだけでしょう.これが「1億総貧乏」のいわば「戦前状態」の「大日本帝国」になったらどうなるか.今の北朝鮮がそのパロディでしょう.歴史は繰り返す,2度目は「茶番」として.これこそは「百聞一見にしかず」でしょう.
歴史に「もし」は禁句なのだが,しかしあえていえば,「もし」あなたが「古代的奴隷」だとしたら,あるいは「もし」今もなお「基本的人権を全く認められていない」ような国,に生まれたとしたら,自助努力や自己責任が,一体,どんな意味をもちえるでしょうか.あるいは,「もし」あなたが「一人の兵士」として戦場に放り出されたとしたら,自助努力とは,とにかく敵を殺して生き延びることであって,自己責任だの「個人の人格に何人も踏み込めない」などとは言っていられなくなるでしょう.軍隊は,アリ社会のようなもので,兵隊アリに一切の人格はありえません.そこには殺人マシン,向う敵はみんな殺せ,という「命令」が<ただ・ある>だけでしょう.
人格,それはヒトの「自由意志-各種善悪の「行い」をその自由意思によって選択することができる-」と同一視することができますが,人格の存在とは,相互無危害性および相互善行性原理,つまり自由・平等・友愛そして平和の原理がまがりなりにも実現している社会に住んでいるからこそ,言えることなのです.
中世においては寺院宗教もまた「社会システム」の一部であり支配機構であった 中国の帝国とは,氏族連合が作り出した都市国家(ポリス)の,そのまた集合なのですから,戦乱時には都市から人口が周囲の農耕・牧畜地帯へと流出し拡散し,平和時にはそれらが都市に還流し集中する,という現象を繰り返してきたのではないでしょうか.昔は戸籍だって整備されていません.整備しようにも,平和時には調査が行き届くが,戦乱時には壊滅状態になります.現代のようにコンピュータがあるわけじゃないから,人手で集約しようとするが,戦乱時にはそうした人もいなくなるから,どうしても人口が激減したようにみえてしまうでしょう.
日本だって,明治以前は,お寺の人別帳がすべてで,結局,寺というのは,行政機関,支配機関の一つだったのですし,ヨーロッパでは教会がその役割を果たしていたのでして,その既得特権を守らんがための「屁理屈」が,ヨーロッパでは「ただ神の救いを信ぜよ」だったし,日本では「ただ極楽往生を信ぜよ」だったのです.
でも,戦乱の世に適応した中間層の人びとは,「桃源郷」のような,日本では「隠れ里」のような,いわば避難地を周到に用意していたのではないでしょうか.だから,みかけほどには,人口は増減していなかったのかもしれません.
むろん,戦乱時に悲惨な状況は必ず起ります.特に,高密度に集まって暮している弱者や貧者に,どうしても集中してしまい,多くの人びとが「逃げ後れて,大量絶滅する」という恐ろしい事件,ある意味では「目立つ事件」が,やはり起きてしまい,後世の歴史家はどうしてそれに目を奪われてしまうでしょう.
「死の恐怖」と,それが生みだした虚構としての「地獄・極楽」 ヨーロッパの教会は,都市の中心であり象徴であり,集会所であり,君主が戦勝祈願する場所でさえありました.そこで祈られるのは,都市の守護であり,現世利益,でした.実際,カトリック教会では,キリストよりも君主や都市の守護天使(たとえば,大天使ミカエル,悪龍(=いわゆる「天敵」だろう)を退治する,など)が大々的に祭ってあります.それがもっと現世的になると,プロテスタント教会みたいに,この世での成功こそが,あの世での救いの「証」である,ということになります.M.ウェーバーの『プロテスタンティズムと資本主義の精神』参照のこと.
ホラー・ビースト,それは西洋中世教会の屋根なんかにあって,貧乏な不心得ものが教会財産やお墓の宝物を盗まないように「脅す」役割をする動物たちですが,日本では,日光東照宮の屋根の飾りにもなっているような奇怪な動物たちのことです.中国では,やはり富者たち,地主層のお墓つまり「祖廟」に飾っておいてそれらを,魔よけ,要は,泥棒よけ,にしていたのでしょう.
「詐・術」って,「感性」の問題じゃなくて,社会的「悪・意」の問題だと思うのです.廟とは日本でいえば墓です.墓は「死者たちの家」であって「祭器」は死者たちに捧げられたものであり,死の世界のモノでした.どういう経緯から知らないが,それらが「市場」に出回っている,ということに何か「厭なもの」感じてしまうのが,わたしの日本的といえば日本的な「感性」です.「死者たちの家」の「死者たちのモノ」である「祭器」にまで,「イノチのキラメキ」やら「美」を見出すような「感性」って,ちょっと変だな,とも思います.
日本のお寺では,キリスト教会におけるような「救世主」による,「あの世」における「魂」の救いに代わって,浄土真宗の「極楽往生」のようなものが祈願の対象になります.地獄極楽行きを決定する閻魔庁には,閻魔「大」王だけじゃなく,十王がいます.これは中国仏教が,中国の官僚制からひねり出したものでしょう.インドでは牛頭馬頭が地獄の邏卒として描かれているが,中国化されたそれが冥府の官吏でしょう.日本では鬼がそれに代ったのです.いずれにせよそれらは,現実のイメージを張り合わせた,空想のキメラです.
空想のキメラとしての「共同幻想」と,それが住まうVR空間 キメラって,頭が鷲で胴体がライオンで尻尾が蛇,という空想上の動物です.グリフィンだと頭がライオンで,コウモリのような翼があって,といろんな組合せパタンでどんな動物でも作れてしまうでしょう.TVゲームたとえばドラクエやらファイナルフンタジーやら,アニメ映画たとえばポケモンやらにはよく出てくるおなじみのモンスターたちがそれです.
今はCGでどんな組合せパタンもでて,それをリアルに動かせるから,仮想現実空間でのモンスター狩りや,それのコレクション用のモンスター図鑑,空想動物図鑑,なんかも流行っています.今や,自由な造形は,Virtual Real空間にあり,ですね.そこでは,単なる仮想空間というよりもうちょっとリアルな虚実渾然一体的空間とでもいえるようなもの,ヒトがそこで仮想的に暮らすことができるような場所さえでき上がっています.
キメラとは,生物学的には異品種や異種の生物から合成されたものです.サツキなんかでは,時々赤い花と白い花が,全く同じ一本の木に咲いていることがあります.これが生物学的なキメラです.キメラは,夏みかんの枝がわりが温州ミカンで,等々と,品種改良にも積極的に使われてきました.近頃は細胞融合技術が進んだから,ポマト(ポテトとトマト)のキメラなんかが,ホントに人工的にできてしまうのです.
「死の恐怖」をもたらす「力の意志」による支配からの自由・解放の「はじまり」 人びとが「死の恐怖」による「力の意志」の支配から自由になりはじめたのは,ようやくルネサンス以後であり,近代市民社会がようやく成立しはじめてからのことでした.ルネサンスとは古代復興でしたが,近代市民社会の成立にあたっては,古代市民社会法であったローマ法がその規範となりました.それはいわば自然法への回帰でもあったのです.
ゲーテの生態論,ってご存じでしょうか.それには自然の事物の「写・実」すなわち「写・生」があります.自然において<実に・ある>ものとは,全て動的に<ある>のであって,つまり全てイノチあるモノ,ココロあるモノの他ではないのです.したがって,写実というより「写・生」つまり対象を「活・写」することにこそ自然美があるのではないのかしら.
しかし,静止画像で生の躍動感を表現するのは至難です.到底「遊び」じゃすまないのです.とくに「写・生」する技術,つまり絵画の訓練を全く受けていないものにとってはね.現代では,さいわいに写真や動画があり,わたしたちは動的な自然の実像を居ながらにして楽しむことができるようになりました.