はじめに
「愛知の業」としての自然学は「技術システム」の一部としてあった 古代ギリシアでは,哲学すること -愛知の業(わざ)- はすなわち自然のロゴスおよび自然の内に生きるヒトのロゴスの探究でありました.それはつまり「存在」の本質(理念,ロゴス)つまり真理を探究することであり,自然の神的なロゴスをついに知ろうとすること識(し)ろうとすることすなわち「知・識」を獲得することであり,それはやはり技術の1要素だったのです.技術(テクネー,techne)とは,ヒトがヒトとして自然の内によく生きるコトができるような習慣から発生した,その方法論であり,いわばよき習慣そのもののあり方の全てであったのです.
実際,生活習慣あるいは生活規範をギリシア語でノモスといい,それが法律の語源です.法律とは本来,外から強制されるべきものでは全くなく,わたしたちがよく生きようとするならば,むしろ自発的にそれに依って生きることが勧められるような「よき・生活の方法」すなわち「自然法」としての習慣のことです.アリストテレスがいうように「すべての技術(テクネーtechne)は何らかの善きものを目指している」(『ニコマコス倫理学』)のであって,ゆえに「技術システムの探究」こそ,わたしたちにとっての「善なる『行い』のあり方の探究」です.
自由市民のための技術,それがいわゆる「学問・芸術」のはじまりであった もともと技術とは,全学問分野どころか諸芸術をも完全に包摂するコトバだったのに,日本で技術というと,学問・芸術よりも一段低いものに見られています.しかし,実は,ヨーロッパ古代・中世においては全く逆だったのですよ.
ギリシア語のテクネーtechneは,キケローによってそのままラテン語のarsに訳されました.それが英語のartの語源となりました.
古代・中世の自由市民が習得すべき,よく生きるための技(わざ)術(すべ)として,@文法・修辞・弁証,A幾何・算術・天文・音楽,そしてB建築術・医術の9つの技術分野がありました.@とAの7つは合わせて,artes liberalesと呼ばれました.英語では(seven) liberal artsで,これをそのまま直訳すると,自由(市民のための諸)技術,です.
さらに詳しくいうと,@は,人びとを説得しその合意を引き出すための,広い意味での弁証法であり弁証「術」です.ここでいう弁証術とは,対話術のことであって,それは人びとが話し合いによって人びとが直面する難問(アポリア)を解決しようとするその方法,要は,合議あるいは会議の方法のことです.
Aは,幾何(geometry)が測地術(geo-metric)から発生し,そこから算術が発達し,それが天文術と結びついて暦術になっていきました.さらに,暦術と天文術とは航海術と深く結びついていました.音楽とは,比例論であって,それは天文と結びついた宇宙(コスモス)の調和の原理であり,自然と人びととのよき関係性の解明のための術のことでありました.
Bは,むろん,具体的に「よく・生きる」ための,基礎技術としての自由技術のいわば応用術です.建築術は,ヒトにとってよき住いをつくることでありましたし,医術とは,「健康を保ち病気を癒すこと」であり,それを現代的にいうと「保健・医療」です.むろん,古代自由市民にとってかれらの家庭を経営するにあたっての法律や習慣のあり方 -これがエコノミーeco+nomos>economy「経済」の起源です- においては,住まいを作り上げ家族の健康を保ち病気を癒すこと,すなわち建築術や医術は,必要不可欠な「教養」ですらあったのです.
このように広範な意義をもつ「技術」に淵源するartを,「芸・術」と,さらに明治のいわゆる「知識(の何たるかを知らない知識)人」が日本語に翻訳してしまい,後から輸入されたengineeringやtechnologyが「工学」や「技術」と訳されるに至ってついに,技術あるいは「術」が,学問芸術一般を意味するartよりも一段と低いもの,単なる実用あるいは応用分野というきわめて狭いものに成り下がってしまったのです.
さらにシカツメらしく,柔「術」を柔「道」などと気取る輩までが出てくるものですから,「技・術」がますます貶められてしまいました.しかし,古代においては「人生は短く,『術』の『道』は長い」といわれるように,「道」とは「術」を体得しそれと一体化した人格の完成にまで至る「道」程つまり中間の過程にすぎませんでした.
さらにいえば,もともと,「六芸」に,書や楽や算といったいわゆる学問ともに,騎(乗馬術)や射(弓術)が入っているように,芸とは,諸「術」の集大成にすぎませんでした.学・問じしんが,まずヒトの真似をすること,それこそ自らの「算如と工夫」によってそれを全身体が「行う」ところの「わざ」とか「すべ」として,「体・得する」こと,つまり「技術の修得」であったわけです.
本来の技術とは,ヒトがヒトであることのために必要な全ての実践的な知識,実践可能かつ実現可能な知識,むしろ空想的では<ない>ところの実質的な知識,を意味したはずなのです.わがいうところの現代自然学も,したがって,それはヒトの「良・心(=bon sense)」であり,ヒトの「よき魂」としての「技術システム」としての存在そのものなのであって,それを目指して,いまわたしもシコシコやっている次第なのであります.
自然学もメタ自然学もまた「技術システム」の一部と<なる>ことによってはじめて「よく・生きる」ことができる このように,技術とは本来,いわゆる現代の学問や芸術などよりもはるかに広い概念だったのであって,いわゆる哲学(知識を愛すること)とても実は,自然と共にヒトがよく生きるために必要不可欠な「技術システム」の,ホンノ一部であり,自然の認識「術」にしかすぎませんでした.いわゆる自然(科)学のラテン原語はscientiaで,それは知識あるいは認識という意味しかありません.
いくら問題を正確に「認識する」ことができたとしても,それを実際に「問題解決する」ことができる技術がないなら,そんなものは全く役に立ちません.知識は「技術システム」の中において活かされてこそ,実用化されてこそ,実際に応用されてこそ,生きることができるのです.
ヒトによって意識された知識とは,実際にわたしたちの「生・活」に活かされている,自然が作りだした「技術システム」のホンノ1部分にすぎません.観念論 -それはヒトの「観念」を探究の対象とすることです- を自称するカントですら,実践優位をいいますが,これは現代のわたしたちにとってはあまりにも当然すぎることでしょう.
この広義の意味での「技術システム」の完成の過程が,苦・集・滅・道,における「道」です.技術システムの完成に至る道,それはすなわち「4つの真理(知識,理想,目的)と(それを実践する)8つの正しい『道(=方法,手段,技術)』」の究極であり,それは,自然がすでに作りだしわたしたちを活かしている当のものであるところの自然的「技術システム」の上において,それをより明確に意識することによってはじめて成り立つものなのです.わが自然学およびメタ自然学も,自然とヒトとが共によく生きる方法の体系であるところの「技術システム」の基礎部分を構成し,それに統合されて不可分一体と<なる>ことができてこそ,その使命を存分に発揮することができるのです.