相互無危害性(安全性)と相互善行性(最適性)が自然の存在の原理である
3.11以来,福島原発事故以来,モヤモヤしていましたが,おかげさまで,1つの結論に辿り着きました.それを忘れないように書き留めておきたい.
あらゆる自然の事物は,相互無危害性および相互善行性原理の実現を目指して,自由・平等・友愛なあり方を目指して,進化してきたように見えます.それは試行錯誤の結果ではありますが,自然の存在と進化の原理が,動力学的ハイパーサイクル・システムであって,その存立が,相互無危害性および相互善行性原理によっていることが次第に解明され,事情は全く一変した,と思います.自然のロゴスの第1の原理である相互無危害性というのは,システムの安全性です.その第2の原理である相互善行性というのは,そのシステムの機能の効率性です.
今回の原発事故は,本来,「社会技術システム」にとっての第1原理であるべき安全性設計に,大きな問題というより欠陥があったから起きてしまったのです.そうした安全性を軽視したシステムは,もっと早く意識され淘汰され排除されるべきだったのに,当時の国家や政治状況がそれを許してしまった.その結果としての今回の事故です.
タバコだってそうですよ.結果的には国家は税金をとるために人びとに毒を吸わせてきた,といういしかないのです.お酒だってそうかもしれない.交通事故だって便利や快適の代償としてまだまだ残っている.わたしたちの身の回りには, QOL(Quality Of Life,生活の質,日常的健常性)に対する小さなリスク,しかしそれが一旦起こってしまうとそれは当事者にとって致命的な大きな事故となるようなもの,がまだまだ一杯あって,そうそう神経質になる必要はないのかもしれませんが,わたしたちの日常は私たちがそう思っているほどには「安全でも安心でもない」のです.
わたしたちの安全性に対するもっとも大きな脅威は,まだまだ世界のあちこちで起っている戦争やテロです.それは生物種が生き延びようとしてもって生れてきた「血の復讐」のロゴス,やられたらやりかえせ,にあるのです.
ヒト社会すなわちヒト産業システムは,安全性と効率性を目指した「技術システム」をその「魂」として成立しています.この「技術システム」が「血の復讐」のロゴスを意識的に克服しない限り,平和な社会,安全な社会はやってきません.「血の復讐」のロゴスを放置すれば,核・化学・生物兵器によって,人類が滅亡する事態だって起るでしょう.
せっかく,人類をはじめ地球上の生命みんながここまで進化してきて,宇宙開闢以来,138億年の間,うまく生き延びてきているのに,それを原発の廃棄物,それこそ私たちを滅ぼすであろう毒やゴミ,で「邪魔」するようなことをしてはいけません.わたしは,そうした廃棄物の閉じ込めが,無理せずにホントにうまくできて,ホントに原発が安全なエネルギー生産システムになりうるまで,たぶんそれは,実験炉や実証炉のといったコンパクトなものになるはずで,それができるまでは原発は段階的に休止させるべきだ,と思います.
自由・平等・友愛,そして永続する平和,それが自然の内において,自然と共によく生きようとするヒトの目指すべき理想である,ということです.それが自然学のススメの結論であり,自然の探究,メタ自然学の探究,技術システムの探究のはじまり,入門なのであります.