何が福島原発事故を引き起こしたのか
-原発事故の「真の原因」は,安全管理システムの「欠陥」である-
福島原発は当時あった多くの反対を,それこそ「金(かね)」で押し切って,1970年にできました.それは,アメリからの直輸入で,日本型の災害対応に「安全に」設計されたものでは全くなかったのではないでしょうか.非常電源をターピン棟の建屋の地下にもってきたのは,なんとハリケーン対策だそうです.それが津波に簡単にやられて今回の大事故を発生させてしまいました.
他にもいろいろあります.冷却水を地下に溜めておいて,それを汲み上げて循環させるとかは,地震で広域停電が起るような事態を全く想定していなかったことであって,そもそも外部電源が断たれると簡単に熱暴走してしまうような原発を「安全」とあくまで言い張ってきた無知蒙昧さよ,であります.
地震/津波対策が「全く」できてないシステムを,あくまで「安全」だと自分も信じまた人びとにもそのように信じさせてきたわけで,それが今回の地震と津波で暴露されてしまったのです.自然の動的ロゴスに対する無知は,そのまま,自ら滅びに至る道,なのです.
1955年だから,小学生の頃です.母につれられて「原子力の平和利用」博覧会とかへ行ったことがあります.それは,正力松太郎つまり読売新聞が,アメリカCIAと結託して打った「大芝居」だったらしいです.広島・長崎の原爆の記憶の生々しい時代に,原爆の「威力」の恐ろしさを痛感していた人びとに,その「威力」を「平和利用」せよ,と訴えたわけです.結局,そうした「大芝居」に乗せられた多くの人びとは,次第に原発を容認し,日本は核燃料サイクルの確立に,とひた走り,その挙句が今回の「福島原発事故」というわけでしょう.
わたしもそうした動向とは無縁ではありえませんでした.「正力奨学賞」というのを頂いたこともあります.大学卒業後に就職したのが,某研究所です.その創設のテーマも,ズバリ「原子力の平和利用」でした.全学問全技術システムを含めた全産業システムが,否応なしに,こうした国家独占資本主義的な政策に巻き込まれていった,というわけでした.
そこでは,放射線防護やいわゆる「死の灰」つまり核分裂生成物の人体への影響の研究が細々となされていました.当時は,米ソ両軍事大国の軍拡競争の真只中であり,競って行われた大気中核実験の影響で,今の環境放射能の10000倍の放射能が「実際に存在していた」のです.しかも,核戦争の恐怖が現実のものでしたから,そうした研究にはそれなりの切実感があったのです.そうした研究の成果が今になって役立とうとは,まことに皮肉なものです.
反・核という意味では,わたしも学生時代に反・原発運動に「ちょっとだけ」首をつっこみました.原発には非常時にECCS(Emergent Cooling Control System,非常用冷却制御装置)があるから安心だ,という.
しかし,そのECCSが故障したらどうなるか.核燃料は次第に熔解しそのまま放置すれば再臨界に達して「火の玉」化します.そうなると全く手がつけられません.そうならないように,とにかく再臨界に達しないように,ホウ素を含む水で冷却し続けるしか全く方法がないのです.今回の事故でそんなことが実際に起こるとはね.
その後,あまりみんなが安全だ,安全だ,と合唱するものだから,あまり深く考えずに,そんならついでに核兵器も燃やしてしまえば一石三鳥なものだ,それがわが反・核さね,という安易な考えになってしまっていました.
ところが,地震と津波が「地獄のカマ」のフタをついにコジ開けてしまって,最後の命綱であるはずのECCSがあまりにも簡単に機能不全を起すような「欠陥商品」を,アメリカに押しつけられていたことが判明しました.今の時点では,いくら想定外とはいえ,この国家的国際的詐欺にまんまとひっかかってしまったのは,一労働者一市民としてまことに愚かなこと,そして軽率なこと,であったと痛切に反省しております.
福島原発は,今の北朝鮮と同じ理屈で,朝鮮戦争時代に起こった日本の核武装化論の代償として,当時の日本(独占資本)がアメリカから買ったものでしょう.それにはおそらくマトモな耐震設計はなされてはいますまい.アメリカには地震はほとんどなくて,耐震設計しようにも,彼らにはノウハウがなかったはずでしょう.ですから,原発の立地には,地震を引き起こす活断層が近くにないことが条件になっていたはずです.
津波でやられた非常電源装置だって,ハリケーン対策で地下につくられたから,津波でやられてダメになったのです.「命綱」のはずの緊急冷却装置だってまことお粗末なもので,電源がなくなっても動き続けるような工夫は,お金さえかければどれだけでもできたはずなのに,全くしていなかった,あるいはそうした自動冷却装置を機能させ続けるような操作をしなかった,それこそ「想定外」だったのではないでしょうか.
要は,とにかく当時のソ連や中国に対抗して核武装しなきゃならん,と考えるような,A級戦犯上がりのいわゆる「国士」と自称して喜んでいるような「好戦的な輩」がイロイロと考えたあげくの原発輸入で,安全性なんかアメリカでの実績だけが頼り,というお粗末なものだったのです.そう考えると,今回の事故は,これだけ(実は大変なことで,「被害」に会われた方々にはまことに気の毒なことではあったのです)ですんだことに,わたしは心底からホッとしています.ようやく,第2次世界大戦のツケ払いはこれで終わりつつあるのではないか,と.