何が津波の被害をここまで大きなものにしたのか
40年前に,三陸海岸にある田老町に行ったことがあります.そこには明治時代にあったという「三陸大津波」の到達した記録が残っていました.その到達した高さは,実際に建設されていた津波用の堤防の高さを,はるかに越えた場所にありました.ホントにこの高さに津波が来たら,この堤防は全く役に立たないのではないか,とふと不安を感じたことを,今になってようやく思い出している愚かしさであります.
三陸地方に人びとには津波の経験が多々ありますから,古くからの産のある人びとは山手に建てようとするでしょう.漁業で生計を立てるしかないといういわゆる「無産」あるいは「文無し」,過去からの蓄積がない人びとが,この津波除けの堤防があるから,いざとなったら身一つで逃げればいいから,と低地に家を建てざるをえないでしょう,
むろん,通常の高さの津波でしたら,この津波除け堤防は十分機能します.そうこうして40年もたつと世代交代が起り,過去は忘却され,しだいにそこに「安全性神話」が成立します.その挙げ句の今回の津波でしょう.逃げ遅れたというよりは,年老いて逃げる気力も能力も低下した人びとが,多く死んだのではなかったでしょうか.残念無念なことでありました.
今,65歳以上でしかも年金暮らしのお年寄りに,「ほとんど」持病のあるような人びとに向って,自助努力をせよ,と言ったって,相当な蓄え(stock)がなきゃそれはとても無理な話でしょう.それにお金があったら,津波の名所で,津波が「必ず」来るような海岸近くにはまず住んでいませんでしょう.
また,お年寄りは車を使う習慣がありません.逃げるといっても徒歩です.年老いて山の上まで歩くのは大変です.結局,地方の空洞化,高齢化が,津波の被害をこれほどまでに大きくした,といえると思います.