算術と幾何学

 

純粋な「行い」記述システムとしての,ユークリッド幾何学の成立  いわゆる理数系の学問の基礎は,算術と,とりわけ幾何学と,にあります.算術は幾何学に吸収されうるので,自然学の基礎とは,幾何学による定義がそのすべての「はじまり」だ,と思って下さってもよろしいのです.

さて,その幾何学の定義集,ユークリッドの『(幾何学)原論』の冒頭から,ですが;

ユークリッドの公準1: 点とは部分をもたないものである.→これを追体験したければ,コンパスの先を実際に紙に突き刺してごらんなさい.その純粋な「行い」によってできた図形,それが「点」です.

ユークリッドの公準2: 線とは幅のない長さである.→これを追体験したければ,鉛筆をよく削ってなるべく細い線を描きなさい.その純粋な「行い」によってできた図形,それが「線」です.

ユークリッドの公準3: 線の端は点である.→これはよくわかりますよね.あなたがよく削った鉛筆で描いた線は,2つの黒い「点」で終っていて,あとは白紙があるだけです.

ユークリッドの公準4: 直線とはその上にある点について一様に横たわる線である.→これは定規を使って直線を書いてみればよくわかるでしょうし,直線とは,そこに小さな「点」が一様にならんだその集り合わさったもの(集合)であることもよくわかるでしょう.

ユークリッドの公準5: 面とは長さと幅のみをもつものである.→あなたが今,その純粋な「行い」によって「点」や「線」を描くことができた,そのペラペラの「薄い紙」(厚さがほとんど<ない>に等しい紙)を見れば,よくわかるでしょう.

ユークリッドの公準6: 面の端は線である.→これは,その「薄い紙」の端が明らかに「線状」であることを見れば,よくわかるでしょう.

・・・等々,23個あるユークリッドの公準のどれをとってみても,それらは,誰もが小学校で実際に体験してきて,覚えている(実際に「点」とか「線」とかを「描く」ことができる)はずの,誰にでも自明と思えるような定義(公準,公理)です.それらの定義たちを,全く追体験もできず,全く理解もできず,つまり覚えてもいないような人が,立派に大学までを卒業して,市民として立派に生活してきて,地域で尊敬されている,しかも平面(キャンバス)上にあって,「点」や「線」から成立しているはずの「絵」(それは「単純な自然図形」からなる「1つの集合」のはずです)まで実際に「描ける」などとは,全く信じられないことですね.

数学嫌いのあなたは,日々,ユークリッド幾何学の定義を追体験していることによって,実際に覚えてもいるのです.それらを明らかに知っていて,それを使って実際に立派に生活してきてもいるのだが,それらを全く意識していないのです.要は,自分がそれらの定義を知っていることを全く知らない,自分が自然からもらった「生活の知恵 -自然の賜物-」を持って生まれてきていることを全く知らないのです.きわめて単純明快かつ明晰判明な自然法,それに対する無知,自らがそこから生まれてきたものの無視,全存在の故郷である自然の完全な忘却,ただそれだけのことではなかったでしょうか.

 

純粋行為「のみ」から成立する「技術システム」の誕生  古代ギリシア人たちは,幾何学<する>こと,つまり「点」や「線」を平面上に「描く」という純粋な「行い」ほとんどそれのみによって,実際の計算 -加減乗除の4則演算- を「行った」のでした.そうした計算<する>という純粋な「行い」システムは,算術とよばれ,自由市民がこれを「行う」ことができる自由市民のための技術,つまり「自由技術(システム)(artes liberales)1部を構成していきました.

ラテン語でars,あるいは英語でartといわれるものは,日本語には「芸術」と訳されましたが,それはギリシア語でいうtechne,日本語訳では「技術」の完全な直訳です.古代においては「芸術」と「技術」とは全く同じものだったことは,「まえがき」にも述べた通りです.

ユークリッド幾何学システムを記述した『(幾何学)原論』は,自由技術システムの1部としての「算術」をも含むものであって,その巻頭にある公準(postulate,要請)とは,ヒトのみならず自然のモノであれば誰しもがこれを「行う」ことができる純粋行為システムの,いわば基礎中の基礎の発見であるといえましょう.それら単純かつ明晰判明な基礎的な「行い」の組み合わせ「のみ」によって,全ての証明が「行われうる」ような「(ほとんど)閉じた・技術システム」が,「ユークリッド幾何学システム」です.自然の内なるモノの数を「数える」,自然の内なるものの量を「量る」という純粋な「行い」,その「行い」を成立させるものが「算術と幾何学」を包摂する「ユークリッド幾何学システム」であり,これがヨーロッパにおいて「技術システム」の典型的な,そして理想的なあり方となっていったのです.現代のコンピュータ・システムを成立させている基礎的な「技術システム」は,古代ギリシア人が打ち立てたものです.

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