わが生家では,「趣味」や「道楽」といえるようなものはほとんどなかったと思います.祖父の唯一の楽しみ,趣味といえるものがあるとしたら,それは煙草でした.小遣い銭にもことかいていたようだから,「ゴールデン・バット」を半分に切って,パイプにつめて,根元まで吸っていました.祖母はそれを臭いと嫌っていました.母はもっといい香りのものを吸ったらどうだろう,という意見だったが,缶入りのピースが吸えるような「ゆとり」はなかったというのが実情だったでしょう.
タバコは明らかに「毒」だとわかっていても,やめられないものの筆頭のようですね.昔は,他に手軽な楽しみといってもありませんでしたから,まぁ仕方がないにせよ.
でもね,日本政府はタバコを専売していたのですよ.「毒」を国民に吸わせて,さらにそこから税金をとっていたわけで,2重取りもいいところです.さらに,肺ガンなどの健康被害のツケは,結局は国民に回るわけだから,3重取りですよ.
「タバコへの課税は明治9年(1874)1月に」もう始まっていて,「日清戦争後に財政収入を増やすために」タバコ税制が定められ,「1898年(明治35年)1月煙草専売法が実施され」,と明治時代以来100年以上にわたって,タバコによって税収を増やすことにわが「大日本帝国」は邁進してきたのです.戦前は「大蔵省(専売局)」がタバコを専売したが,戦後の国家独占資本の解体にともない,「専売「公社」」に移管されたのです.
江戸時代にも,「藩」はタバコを「専売」して「暴利」を得ていました.「藩」はいわば「独占資本」として機能していたのです.「専売」(商売の独占)からあがる利益って,そりゃ「隠された税金」のことでしょう.
資本「主義」つまりお金儲け「主義」って,結局,「商品」つまり「貨幣」と交換されるものがヒト社会に誕生すると同時に誕生したのではないでしょうか.お金がイキモノのように利子つまり種子を産む,たとえば,奴隷を買ったお金が,奴隷をこき使うことに よって,より大きくなってつまり利子をつけて帰ってくる,お金が本来唯一の富の源泉であるヒトの労働を食って,自己増殖するのは,古代からのいわば「あたりまえ」でした.
漢の武帝の時代に,匈奴との戦争にお金を使いすぎて,国家が塩・鉄・酒の専売をはじめたのです.「営・利」事業が国家の品位にふさわしくないとか民業圧迫だ,とまるで現代を思わせるような議論があって,それが「塩鉄論」にまとめられました.2000年前からすでに,国家が塩や鉄を専売することの是非,国家が商売を独占することの是非,を議論していたのです.
某研究所にいた「ガン撲滅のための研究」をこととするはずの某先輩は,とんでもないヘビー・スモーカーで,いくらなんでも吸いすぎじゃないか,とご親切に,あるいは迷惑顔に注意されても「タバコの害毒は疫学的に証明された話ではない」とうそぶいて,止めるどころではありませんでした.その後,タバコの害毒がついに「NIHによって疫学的に証明された」時には,私はもうその研究所にはいませんでした.もっと後に聞いた話では,自分がホントに「肺ガン」になったものだから,さすがに止めた,というのです.
ヒトは自らの好むところや既得権は,事実に反する「嘘」をついてでも守ろうとします.ホントに「痛い目」にあるまでは,とかく自己を正当化し合理化しようとします.まわりに親身になって意見する人がいない「偉い人」つまり「裸の王様」はとくにそうだ,ということです.
細胞のガン化,って断えず起っていて,普通はそうした異常なヤツはアポトーシスつまり強制的に自殺させられるのですが,その強制自殺回路が異常だったりすると,歯止めがきかなくなってガンになるのです.ガン化の原因は,放射線を含め,ただでさえ環境に充満しています.タバコの煙はCOをはじめとして,そうした危険物質を多く含んでいて,健康被害には至らないまでも,発ガンのリスクを確実に高めます.発ガンのリスクは,放射線と同様,むしろ吸引して体内に入れるから,タバコの害は放射線以上でしょう.私たちの世代は,大気中の核実験の「お蔭さま」で,現在の大気中の放射線量の1000倍を浴びてきた.原爆も原発事故も,もう沢山です.この上さらに,タバコは吸わないにこしたことはないですよ.
趣味をホンキで達成するためにも,「もし」長生きしたいのなら,リスクは極力下げるべきでしょう.ご家族のうちに「もし」肺ガンになったヒトがいるようなら,発ガンのリスクはもっと高まります.キッパリとやめるべきだ.
オコゼのから揚げやらフグの肝やら,じゃないけど,西洋の貴族みたいに,海泡石のパイプかなんかで,広い書斎で,ゆっくりとパイフをくゆらす,要は,自己責任,自業自得,オレが死んでもだれも困らない,回りは財産狙いの,いっそのこと早死にしてくれと思うやつらばかり,そこで贅沢三昧放蕩三昧がなぜ悪い,とでもいうのなら,誰もその喫煙に反対しやしませんよ.
日本のタバコ飲みってば,昔流の貧乏人の悪癖で,セセコマシすぎますよ.働き盛りで,自分が早死にしたら路頭に迷うはずの妻子を抱えていながら,しかもタコ部屋みたいな狭い仕事場で,大勢で,誰に遠慮会釈もなく,スパスバやっていましたよね.望むところでガンになっても,自業自得じゃすむはずがなく,むしろ家族みんなが苦しむだけ.
結局は,「職場で虐げられていた沈黙の嫌煙者たち」とりわけ女性連には,徹底的に嫌われることになります.これも,復讐のロゴスのしからしめるところのものでしょう.
わたしの場合は,タバコをホントに吸い込むと,体質かもしれないが頭がボーッとして「仕事あるいは商売」にとてもさしつかえるので,自然に,吸わなくなったのです.とかく「毒」というのは,広い意味での脳神経系ネットワーク(細胞間の情報伝達系)のどこかに作用するのです.アルコールだって,アルコールが・ヒトを・酔わせて,大量に飲ませて,肝臓を痛めてしまいます.それとわかっているけど,やめられません.それはアルコールというモノが・脳神経系を介してヒトを・支配していることです.つまり,ヒトが・無意識的にアルコールに・支配されている,ということです.思い出してほしい,真の自由とは支配することもなく,支配されることもないことである,と.アルコールとは,「毒」はわかっていても,終生仲良くつきあえるような関係でありたいもの,だからほどほどに,というわけです.
タバコだってそうでしょう.その「匂い」は別に嫌いじゃないです.セミナーで,某教官が,パイプタバコをふかしていました.はじめてパイプの実物を見て,へぇ〜,これがブルジョアの姿だ,って思いました.その人はホントに,後に総長になって,ついには文部大臣にまでなっちまいました.職場の煙害があまりにもヒドイので,それがちょっとカッコよかったコトを思い出して,早速,月給はたいてブライアー(野ばらの根っこ)のパイプ(当時でン万円したと思う)を買って,それを周り中に「吹かして」やったこともあります.
ブルジョアの真似は,とくにその「悪癖」といわれるものは,とかくやってみたいもの.でも,若いときにはカッコよくても,60過ぎの貧乏ジイサンが,カッコつけても,ねぇ.
タバコ会社で,ニコチン依存症を強めるために,アルデヒトを添加した実例もあることを知りました.タバコ依存症,つまりタバコがなかなかやめられない悪習慣,って,実は,すくなくともその一部は,「悪徳資本」がつくり出したものだったのです.「金儲け」のためにはその手段を選ばず,働く人びとの唯一の財産である,その健康すら犠牲にしようとする,それが資本「主義(idea-logos)」です.「資本のロゴスの,その理想 -お金がお金を永遠に産み出し続けようとすること- 」がヒトを食う,それが資本「主義(idea-logos)」です.
タバコが健康被害を引き起こしているのは屁理屈じゃなく事実です.ヘビー・スモーカーで実際肺ガンになって死んだ人,肺ガンになってようやくタバコ止めた人,を何人も知っています.疫学上も,1.8才平均寿命が短くなる,というデータが出ています.平均すればたいしたことはないが,それに当たった人は,近頃は制ガン剤などがあるから簡単に死なないまでも,QOLの低下でかえって一生の間長々と苦しむことになります.
わたしはタバコの煙で頭がボーッとするから,コリャ身体に毒だ,と思うからやめただけで,そのボーッとするのを快感とするならば,それに「中毒」になるからやめられなくなる.現にやめられないという「中毒症状」がでているのに,それをやめないことにあれこれ「屁理屈」をつけて止められない.「血の復讐のロゴス」と全く同様の「悪循環」だ.それが「悪趣味」における「中毒症状」そのものでしょう.
再確認だけど,若死にした友人Sはいわゆる心臓マヒつまり「急性心不全」たぶん「冠動脈不全」で死んだのではなかったでしょうか.その間接的原因としては,肥満や高脂血症が疑われるのであって,タバコは多分関係ないでしょうよ.
これも若死にした友人Hの死因は詳しくは聞いてないけど,肝臓関係だったとしたら,その間接的病因として疑われうるのは農薬やお酒でしょう.これもタバコとは関係ないかもしれない.
タバコの害は,放射線と全く同じで,ともに,吸わない,浴びないにこしたことはないです.吸えば吸うほど肺ガンの,浴びれば浴びるほど白血病の,「運悪く」発病する確率が,それだけたかまるだけのこと.ご家族で肺ガンの発病が今までなかったのは,たまたま「運よかった」だけのこと,その運のよさの「尽き」がいずれはやってきます.その最初の「運の悪い人」が「ひょっとして」あなたなのかもしれないし,からだが自然に拒否するって,それはもう健康被害が相当に不可逆なところまで(ご老体にとっては特に)進行しているってことです.いったんそうなれば,すべては「後の祭り」になってしまう.宝くじは買わなきゃ「絶対に」当たりっこないでしょう.タバコはすわなきゃ「タバコに起因するガン」には「絶対に」なりっこないでしょう.単に「それだけ」のことです.
武器だってそうです.怒り心頭に発して我を忘れたとき,そこにたまたま武器がなきゃいずれ平穏におさまったかもしれません.武器がなきゃ陰惨な大量殺傷沙汰はおきないでしょう.軍隊がなきゃ,戦争はできないでしょう.「悪」趣味が,「血の復讐」のロゴスとして顕在化したときにはじめて,ヒトはそれが滅びへの種子であったことに,ようやく気づくのですが,そのときにはもう既に遅いのです.