ファウストの部屋

 

わたしは,実は,やりかけの「自然学およびメタ自然学」,「自然の弁証法」そして「現代技術システム論」の完成のために,こちらへ研究室ごと引っ越しました.小さな書庫付きの,世の全ての義務や束縛から自由でありうるような研究室,を持ちたいだけでした.

ヒトにとってもっとも「よき・自然観」を提供し,それを「探究する」ことが,わが「メタ自然学」の最も主要な使命なわけで,そのテーマの巨大さから,それはまさに「わがライフ・ワーク」なのであります.アリストテレスは死ぬまでそれを書き続けたといわれていますが,小生ごとき晩学のものが残りの一生を文字通り「必・死」でやり続けても完成するかどうかさえわかりません.ままよ,なるようになれ,ということでやりはじめましたが,ようやく行き着く先が見えてきたように思われます.もう一踏ん張りしてみたいのです.

できあがったものを世間に発表したいのは山々ですが,わたしの書いたものが売れるとは,出版社の誰もが,全く思ってもいませんよ.わたしの書くものなどは「絶対」売れないだろう,少なくとも,今のままでは,一般書店ではそんな売れないと決まっているようなものを扱うはずがないだろう,との厳しいご託宣です.それが,今の日本の文化文明の厳しい現実,ですよ.

現代では,全てをInternetに公表して,同好の士を啓発し糾合するのが,一番早道なんじゃないか,と思っています.Internet Laboratory for Meta-physics,というのをそのうちデッチアゲようかな,と思っているのです.でも,金儲けには何の役にも立たないような,そうした「私設」研究所に金を出すバカがあろうはずがなく,それも結局自前でやるしかないのです.

しかしまた,この現代のファウストの部屋は「とってもうるさい」のですよ.節電のためには冷房をつけたくないので,窓を開けると,下の道路からは容赦なく騒音が入ってきます.できれば,もっと静かな,環境のいいところに引っ越したいなぁとは思うものの,これまた先立つものがまた必要で,暫くは辛抱が続きそうです.

 

先立つものといえば,わたしは金儲けには殆ど縁のない仕事ばかりしてきました.原子力の「平和」利用からはじまり,宇宙開発,バイオ・テクノロジーとIT融合による医療システムへ,いわゆる先端部門ばかり渡り歩いてきたのです.

それらは国家が巨大資本に投資すべき諸分野であって,まだまだ,日本ではニッチを創出することができるはずもない分野だったし,アメリカ流ベンチャーが育つはずもない,不毛な分野,だった.唯一あるとしたら,ITでしょうが,それに挑戦するには,ホリエモンみたいな「無知と(ココロの)貧困と野蛮」が必要のようだし,結局,ありゃ人びとの「搾取」あるいは「詐欺」と紙一重,要は,ヒトをこき使って,そこから絞り取るわけだし,とにかく自分の自由になる時間を作りたい,そのためだけに仕事をやっていたようなものでした.ヒトを使っての金儲けは,もとから「やる気」は全くなかった.

わたしの場合,人ごとではなくて,この「研究室」の本とコンピュータを「ただの粗大ゴミ」として残さないように,とキットと仰せつけられているわけです.したがってわたしも含めて「ただの粗大ゴミ」にならないように,全てを電子化しておこうか,と算段しているのです.それにしてもまた先立つものが必要です.

しかし自前で自分の金融資産を運用してなんとかそれで賄おうとしたって,今のご時世,わがささやかな「研究室ファンド」さえ,とりわけ今度の震災とヨーロッパ発の財政金融危機でそれなりのダメージを受けました.私の場合,この「研究室」を維持するだけに,年間家賃分だけみなさんより余分にかかってしまう.とにかくそれだけの額はこの資本「主義」社会から誰にも迷惑をかけずに「取り返してやろう」と思っていかないと,結局は資本主義を「克服する」どころか,それに完全に屈伏した,負けたことになってしまう,ということで「一所懸命」やっている次第です.

「金がヒトを動かす」といったら,急に「聞きたくない」と言いだした友人もいました.わたしは研究者時代に「研究費(=人件費)」を掻き集めるのにずいぶん苦労したことがあったので,「とにかく(現代的,ビッグ・プロジェクト型の,いわゆる巨大「科」学,big science,とりわけIT関連,では)研究するのにも『お金(それはヒトを「何事か」をなさなければ,と駆り立てるための,いわば道具でしょう)』がかかってしょうがなかった」といいたかっただけなのですがね.人間万事金世中.人間関係をよくもわるくもするのがお金ですね.

 

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