自然学への目覚め

 

小学生の頃,小さな顕微鏡(150)を買ってもらい,それでミクロな世界,ミクロコスモスに目覚めてしまいました.ミクロな世界では,その全てが生きています.生きて・動くモノ,自ら動くモノ,「活・動・中」であること,それがイノチの現実態(エネルゲイア)です.

顕微鏡下に見えるツリガネムシ,ミドリムシなどは明らかに「自ら動くもの」つまり「動・物」でした.珪藻などは小刻みにゆれていますが,それは無秩序な熱運動,ブラウン運動に由来するのだ,と後になって知りました.

ミクロな世界それじしんはカオス的運動態つまり無秩序な運動態なのであって,その中に,それぞれの一つ一つがそれぞれの固有なカタチつまり構造をもったイノチ,それぞれのミクロコスモス,が成立しています.広大なカオスに浮かぶ小さなコスモス,それは宇宙空間に諸天体が秩序正しく動き回っているマクロコスモス,とほとんど同型なのです.

これを丸山圭三郎だったかが「カオスモス」(カオス+コスモス)と表現していました.広大なカオスとしての<空なるもの>に浮かぶ小さなコスモスとしての<不可分なるもの>,それがイノチあるモノの存在の様相である,ということのようですね.

中学生のとき,やはり生物クラブに属していました.当時はわけがわからずただ夢中だったが,しかし今思い出すと,「いい思い出」はほとんどないです.指導する教師が今でいえば「野蛮だった」ので,イヌの生態解剖なんかをやりました.挙げ句に,その骨格標本を作らされたりもしました.解剖した死体を苛性メーダで煮て,それを埋め,1ヶ月後にそれを取り出して骨格標本にしました.ずいぶん手間がかかったが,けっこういいものができました.それは相当長い間,理科室を飾っていたはずです.

というわけで,高校へ入ったら,生物クラブへ入ろうとは思っていたのです.「ウミウシの研究」では,当時,中学校でも有名でしたからね.

でも,入ったらやらされたのは古城公園で「底棲動物」でしょ.さらに,「カニの浸透圧」の測定,ときた.「全てが『活・動』している」自然,その自然をより深く探究し,その動的ロゴスのなんたるかを思索し探究する,それが自然に親しむことだ,という小学生のとき顕微鏡を覗いた時に描いていたイメージ(理想)とは,それは全くほど遠いものでした.結局,採集会だけが「楽しい思い出」になってしまいました.

大学でも生物学を志そうと思ったこともあるのですよ.しかし,動物実験がガマガエルの解剖で,植物実験が光合成の実験でした.今頃これでは先の見込みはないんじゃないかなぁ,と思ったかして,結局は諦めたのでした.

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