桃源郷の夢

 

わが「自然の弁証法」も,あと10日くらいでなんとか一区切りつけられそうで,その後のことを真剣に考えはじめなければなりません.富山であとは気になるのは,第二の故郷としての里山です.「里山を桃源郷にする」なんてNPOはないものでしょうか.現代日本の環境破壊ですが,これは里山が耕作不適地として,どんどん見捨てられていることと深い関係があるのではないでしょうか.里山荒れを防ぐのが「桃源郷プロジェクト」だ,とそれこそ夢を描いてみたのです.

むろん,福島原発事故以後のこととして,省エネ・効率化,より自然な生き方,自然を活かす生き方,をもっと急がねばなりません.そのためにも,今見捨てられている里山をうまく「活用」し再生したいもの.それこそは「桃源郷プロジェクト」の意味と意義でしょう.

 

ドイツには,クライン・ガルテン(Klein Garten)制度なるものがあって,都市生活者でも,週末には1家で郊外の畑に行ってそれを耕し,またそこからの収穫を素材にした食事を楽しむ,という習慣があり,うらやましいと思っていました.その「+果樹園版」つまり,野菜だけでなく,果樹やハーブを育てて,その収穫を楽しむ,というのがわたしの「桃源郷」というわけです.富山にいてこのまま「お勉強」だけでもつまらん,というのでこれまた若年時の夢であった「桃源郷」の計画作りでもやるか,とふと思い立ちました.

自然に親しめるような場所,週末に出かけて草花を作ったり,果樹を植えたりして楽しみ,最後はそうした「桃源郷」に小さな研究室を作って晴耕雨読な生活を,と勝手な夢を描いてはいますが,「人間万事金世中」で,さらに先立つものがない.ということで,修行だと思って,暫くはというよりは永遠に辛抱ですね.

 

イギリスの中産階級の住まいの理想も,1エーカー(400)の敷地を4等分して,それぞれが果樹園,菜園,庭園,屋敷になっている,というものです.それの日本型廉価版として,里山で1エーカーほどの土地を手に入れて,トレーラー・ハウスでも持ち込んで,梅とかサクランボとか作ってみたいな,というのが私のささやかな夢です.

それにしても,先立つものはやはりお金でしょうねぇ.自然の存在と,人間万事金世中,この二つだけは,万古不易の真理,なのかもしれません.わたしにとっても,それが可能になるのは,もうちょっとお金と暇が自由にできたら,ですから,「ただの夢」に終わるのかもしれません.

自らが自らの,それぞれの「桃源郷」作りにいそしめるように,もう少しの間ばかりは,健康で,安全で,よく学び,よく遊べ,でありたきものでございます.お互い気づくのが,ちょっと遅すぎたのかもしれませんが.

ウチはもう大物は一本の梅の木以外にはキッパリとあきらめて,ラズベリーとかブルーベリーなどの小物を植えて,むしろその小さな花を楽しんでいます.手のかかる花壇はやめて同じ手間なら小松菜でも植えようか,などとも思ったりもします.2年目でイチヂクが採れるなら立派なものじゃないですか.桃栗3年柿8年柚子の大馬鹿16年,とか.こちらも健康な間は,やり続けられれば,要は,死ぬまで健康でホントに好きなことをやり続けられれば,人生それに越したことはないのではないかしら,と少なくとも私は思い始めました.

 

わたしたちに植物は緑色に見えます.それは葉緑素が緑色「のみ」を反射しているからです.葉緑素は,太陽光の白色から赤色を中心とした部分を吸収して光合成をしているので,余った緑色だけが私たちに見える,というわけです.緑色光を植物にあててもそのエネルギーが無駄になるだけです.白色から緑色を抜いた光を植物にあてても全く問題ない.白色光から緑色光を抜いた光,つまり緑色の補色が,ピンクに見えるのです.絵を書くヒトには,補色関係は,わかりますよね.

ビニールハウスをピンク(桃色)にしておけば,それは緑色光を吸収するが,赤色光を増幅し,その部分が植物の生育には好影響を与えるのかもしれません.冬場はピンクが吸収した緑色光でビニールハウスを温めてもいるわけで,一石二鳥を狙っているのでしょう.ただ,夏場はかえって温度管理が問題になりそうだし,第一その中で働く人が「気分」がよくあるまいと思うし,この手の不自然な「桃源郷」は,そうそういいことずくめじゃあるまいと思いますよ.

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