草花や木々たちのこと

 

今日は立夏,「卯の花」はまだ咲き出しませんが,目には青葉,の季節となりました.インターネットで検索をかけたら,出てきました.「アマチャヅル」の葉は,ヤブガラシと似ているが「緑一色」なんだそうですね.センナは,学名はウワバミソウ,というので,東北地方では山菜としては珍重されるそうです.

オーストリアはリンツ(Linz)の近くのパード・イシュルBad-Ishulとかいう有名な観光地を散歩していましたら,「卯の花」ならぬ「アマチャヅル(に似た植物の)垣根」を,その家の人が剪定していました.アマチャヅルをWikipediaで検索してみましたら,なんとPoor man's Ginseng(貧者のための高麗人参)というのが出てきました.古来,ハーブの一種として,西洋でもたぶんに「お茶の代用品」にされてきたらしいですよ.

富山へ帰ってきたら,Linzと同じく,卯の花が盛りで,麦秋の風景でした.もう「芒種の候」なのですね.

グズベリーを調べてみましたら,ユキノシタ科スグリ属,とあります.大文字草とはなんと同じ仲間です.ユキノシタの葉もテンプラにすると食えるらしい.ユキノシタ科の植物は花がカワイイし,葉や実が食えて,人びととは長年共生してきた,よい関係にあるのでしょう.グズベリーの実はジャムにするとおいしいらしいが,生産量が少ないようで,わたしはまだ食べたことがありません.

 

土曜日は「富岩運河」を一周することにしていますが,一部を自然のままに残してある湿原にもう半夏生が咲いています,というよりホントに「半化粧」して,半分だけ葉が白くなりはじめています.

半夏生のことを調べてみましたら,「半夏」という漢方薬があって,そのモトが「カラスビシャク」となっています.どこにでもあるサトイモ科の植物で,その根茎を漢方にするが,畑では雑草扱い,だそうですが,私はまだ見たことがありません.

 

昔は,赤松林は,枯れ枝を燃料に,落ち葉は掻き集めて,堆肥にしたのです.赤松は肥料がなくてもつまり貧栄養状態でもよく育つから,かえって元気になって,そこに松茸も生えたんだそうな.里山の入会地の雑木林も,常緑樹(ウバメガシ等)は伐採してもすぐ芽吹くからそれを燃料にし,枯れ枝や枯れ葉も燃料(芝,粗朶)になるし,草は刈り集めて堆肥にしたのでした.田舎の叔父の家では,粗朶集めは婆さんの仕事だったらしく,いつも彼女の座る場所の壁には,粗朶がうずたかく積み上げてありました.これも自然との共生のカタチですね.

 

近くの公園に散歩に行くのを日課にしていますが,夏至が過ぎたばかりというのに,もう萩が咲きだしていました.

 

ささ潟や []に西施が ねぶの花 -芭蕉-

 

お散歩コースの公園には小さなネムの木が1本,たまに行く富岩公園にはネムの大木が1本,それぞれあるのを見つけてあります.今度出会うときにもまだ咲いているかな.

過去とは過ぎ去りしもの,その過去が今現在もなおここに<ある>としたら,現在は未だに<ない>でしょう.しかるに,現在は現に<ある>のですから,過去はもはやここには<ない>としなければなりますまい.未来とは未だ来ることのないもの,その未来が現に<ある>としたら,現在は既に過ぎ去って<ない>ことでしょう.しかるに,現在は現に<ある>のですから,未来は<ない>としなければなりますまい.一方,過去が<ない>なら,それに引き続いての現在は<ない>ことになるでしょうし,未来が<ない>なら,現在は現在のままに変化せずにあり続ける他はないでしょう.ところが,現在は激流のごとく生成し運動し変化し消滅し続けて<ある>のです.したがって,過去はやはり<あった>し,未来もきっと<あるだろう>としなければなりますまい.

過去とは,今現在の私たちの想起する(思い出す)コトの内にのみあり,未来は,今現在の私たちの空想する(希望する)コトの内にあるのみ,なのです.「よき・希望」をもって「よき・行い」をなし続けることにおいて,「よき・現実」は,その未来にきっと<あるだろう>と,改めて思い直すことにいたしましょう.

 

ささ潟や 「雨」に西施が ねぶの花

 

ドシャ降りになってやっと間違いに気がつきました.古代インドでは「水天」といって,天にも水がある,と考えた.「水天」つまり「天の川」から流れ降ったものがガンジス河だ,と.このドシャブリの雨は一体,天のどこに溜まっていたのだろう,と思わせるのは,インドならではのことだったでしょう.

「夢」は古代人にとっては,天つまり神々の住いするところからやってきて,身体(ミクロコスモス)の様子を知らせる「神託」でした.「ティマイオスの夢」にもあるように,正12面体のサッカーボール形状の原子の表面に神託が描かれていて,原子(それは古代的魂の有り様だった)がヒトの身体に宿って,原子の表面に描かれた図形が,肝臓の表面に浮かび出るのです,それが,ヒトが見る「夢」で,それは身体内のミクロコスモス(小宇宙)の状態をわたしたちに告げ知らせるものであったのです.

 

いつもの散歩道に大きな栃の木が2本立っています.その木の下に栃の実が1個だけ,ご近所の人にも採られずに落ちているのを発見しました.大きな果実に包まれたままです.割って中身をみたいが割るのがちょっと惜しい.長い夏がようやく終わりそうでおわらない,しかしもう中秋の明月の季節,栃の実のなる季節,里芋の葉に白露が降りる,そういう季節なのですね.

栃の木は,いままであちこちでみかけてきたはずなのにそれとは全く気づいてはいなかったのです.2年前にウィーンへ行った時には,街路樹として植えられたマロニエに白やピンクの花が咲いていました.それがセイヨウトチノキ,つまり栃の木の近縁種だったのです.今年の初夏,ミュンヘンからハルシュタントへ寄ったとき,所々に大きな栃の木があるのに気づきましたが,それが実はマロニエでした.そういえば,栃木県の宇都宮市に行ったときには,栃の木をマロニエと称していました.かように,見慣れた木々の名にすら,無頓着にあくせく暮していたことに,気付きつつある今日この頃でございます.ようやく,自分の一生の体験をじっくりと見直すことができる機会を得たような気がしております.

 

そうそう,月日の経つのは速いものです.今日は中秋の明月だとかで,それにあやかって昨日は里芋を電子レンジで調理して食べました.

研究のほうは,自然学から人間学へ,人間論から労働(による価値「再」生産)論,そして家族論へ,家族論から国家(ポリス)論へ,とようやくその「おわり」が見えてきた,という感じがしております.ひょっとしたらわが「ティマイオスの夢」,極微のミクロコスモスからヒトへ,ヒトからヒト社会へ,そして中間としての地球生態システムを経て,極大のマクロコスモスにまで至る,[論理的原子=動力学ハイパーサイクル・システム]論を包摂した「技術システム」論 -労働者のみならずヒトの「魂」の存在意義とは,その「行い」の<よし/あし>であり,その「技術」にあるのですから- がついに完成できるかも,という希望というよりは夢,今やそれだけでシコシコがんばっているようなものです.年金・金利生活者(苦笑)は,健康第一で,夢が叶うまでは,せいぜい長生きしなくちゃいけません.

わが自然学とメタ自然学の探究の旅に,むろん終りはありますまい.「人生は短く,術の道は長い」とは,古来変わることはない,自然学探究者の嘆きでありました.自然学探究の旅,それは個体の死をもって終りはするが,しかし,人びとの夢に次々に受け継がれて,永遠に生き続けることができるのではないでしょうか.それが自然学探究者の永遠の夢の不死性ではないでしょうか.

今はとにかくこの「研究室」をできるだけ長く極力誰にも迷惑をかけないで維持するのが第一目標です.むろん,自然学およびメタ自然学の探究は細々と死ぬまで永遠に続きますし健康が許す限りは続けるつもりです.

しかし,死ぬ前にはほんの少しだけでも,自然に囲まれた,晴耕雨読な生活がしてみたいものです.里山にある小さな別荘兼自然学研究室の周りに果樹を植えて,その収穫を楽しむ,というのがサラリーマン時代の最大のしかし「秘密の夢」だったのでして,それを密かに「桃源郷プロジェクト」と自称していましたが,それもまた「見果てぬ夢」に終わるのかもしれませんね.

 

梅は中国伝来で,奈良朝では「花」といえば梅花を言ったものらしいです.青梅には青酸が含まれているから,食べすぎるとよくないとは聞いたが,桃に青酸があるとは聞いたことがないから,そのピリピリ感は一体なにものでしょう.桃も中国原産で,縄文時代後期には既に日本にも栽培されていたらしい.古事記にも桃を投げつけてヨミの汚れを追い払う場面が出てきます.日本と中国大陸は,少なくとも栽培植物における,自然との共生の様式,生活の様式では,ずっと繋がっていたのですね.

青梅が出す青酸はヘモグロビンと結びついて,一酸化炭素中毒と似た酸欠状態を引き起こします.それで真っ先にやられるのが脳で,意識を失います.微量ならすぐ回復するからいいけど,大量だと死に至る.ナチが強制収容所で青酸ガスをユダヤ人の大量殺戮に使ったという話があります.

青梅は種子が未熟だから,食べてはだめだよ,と青酸を出しているみたいに見えます.むろん,植物がそれを意識して「行っている」わけじゃないが,青梅時に青酸を出す機能が突然変異によって形成され,その機能が「梅」の種としての生存価を高めることができたので,その機能が洗練されついに固定化していったのでしょう.

桃には病害虫がつきやすく,売物になるような桃の栽培は結構難しいといいます.私も好きでよく食べるのですが,安物しか買わないからか,当たり外れが結構あります.

「桃」の花ってば,詩経にも「桃の窈窕たる,君子の好俅」とあるように,見目麗しい女子のことで,桃の花はその「色気」の象徴でしょ.君子は今でいえばエリート官僚で知識人のこと.陶淵明はこれを逆手にとって当時の戦乱の世を指弾し,いわば当時の知識人の隠棲の夢,晴耕雨読の隠士の夢,を語ったわけですよ.

果樹としてみても有用で,その花の美しいものといえば,やはり梅,そして桃,アーモンド,アンズなどといろいろあります.山桜に似た清楚な花が咲くものでは,サクランボのほかにプラムなどもあります.低木ではブッックベリーの花もきれいだ.これらはみんなバラ科.それらがみんな次々に咲きだしたら,それこそは桃源郷以上の「色気」だろうな,とふと思うのです.

 

秋ですね.ほとんど毎日(動物園の檻の中の熊のように)散歩している近くの公園にも,落ち葉が目立つようになりました.ナナカマドの実も少しずつ色づいてきています.

その昔は,どんな家にも柿の木があったものらしいです.生家の23坪の小さな裏庭にさえ,わたしが小学校に行く前までは,父が植えた小さな柿の木がありました.よく実がなった時があって,むろん自分じゃとれないから,父にとってもらって,腹一杯たべたことがあります.味はもう覚えていませんが,その柿の木もイラガがついて,祖母が「洗濯物に虫の毛がつく」と嫌って切らせてしまったので,子ども心にとてもがっかりしました.中学校の友だちの家へ遊びに行ったら,イチヂクの木があって,これも腹一杯食べて,家に果樹があってその実を腹一杯食べられるような境遇をうらやましく思ったことがあります.私の「桃源郷の夢」も,実は,こうした幼時や少年期の「食い気」そして里山出身の父の「血」から来ているのかもしれないなぁ,と思います.

柿は実を食べるというよりは,タンニンを多く含む「柿渋」をとったのです.私の生家でも,床に柿渋を塗ったので,しばらく臭かった覚えがあります.「紙衣」って,柿渋を染み込ませて乾燥させた和紙を,衣類にしたのでした.甘柿は,渋柿が突然変異によって甘柿に変わって渋柿と共生していた,いわば自然が作り出したキメラである「枝変わり」の,その枝を,渋柿を台木にして,接ぎ木で増やしたものですね.

一昔前の農家にはかならずあったもの,それはシュロの木と柿の木だったのではないでしょうか.シュロの木は,あの繊維でシュロ縄を編むために,昔の農家には1本はあったものらしいですね.

シュロの木も柿の木も,農家の自給自足のための,いわば「生きた道具」だったのでした.これも自然と共に生きてきた人びとの,社会的価値「再」生産様式つまり共生のカタチ,であったのではなかったでしょうか.

 

こちら富山のお散歩コースに「銀」木犀の大木むしろ「巨木」といっていいものがあります.毎年,といってもこれで3年目ですが,昨年までは下を通ると,「金」木犀とほとんど同程度のよい薫りがして感激しました.「銀」木犀の薫りは,「金」木犀の百分の一,といいますから,どれほど大きいか,想像がおつきになるでしょう.「銀」木犀は清楚な花つきで,「金」木犀の豪華さはなく,薫りも少ないけど,「白・秋」の風景にはよく似合っていてたいへん気に入っていたのです.

ところが,今年は花がいつの間にか終わっていて,残念ながら薫りがほとんどしませんでした.木々たちにとっても,ちょっと季節のリズム感がおかしくなっているのかもしれませんね.

「銀」木犀は,私も昔いた研究所の構内にただ1本,見たきりだったので,富山のこれほどの巨木にはちょっと感動しました.お散歩コースにある古い豪農の屋敷内にあって,確実に百年以上は経っていそうな雰囲気です.満開のときにその下を通って薫りを嗅いでから以来,毎年,楽しみにしていたのですが,今年はダメでしたね.自然にもリズム,周期があるのでしょうが,なかなかヒトの希望通りにはいかないものです.

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