ポリスと自然言語システムの起源
第2の自然としてのヒト=古代的ミクロコスモスとしてのヒトの身体 ヒトの個体は,数10兆個にもおよぶ多くの細胞が作る社会システムとしての存在です.ヒトの個体がこれほど長期にわたって存在することができるのは,こうしたきわめて多くの細胞たちが,たえず自己を「再」生産しているからです.
ヒトの血液のなかでたとえば赤血球の寿命は1カ月程度です.つまり,1カ月以上経つと,ヒトの身体の中の赤血球は,そのほとんどが入れ代わってしまうという勘定になります.赤血球だけでなく,身体のほとんどの細胞が,その寿命を終えて死に,新しい細胞がそこに「再」生します.かようにしてヒトは,自らの身体を自らによって絶えず「再」生産するという「暗黙の無意識下の努力」を日々行わないならば,全く生きてはいられないのです.わたしたちは無意識下において,日々自己を「再」生産している,いわば「産業システム」としての存在なのです.
ヒトの身体という1つの巨大な細胞社会の内で,唯一再生しない細胞である,と思われていた神経細胞でも,「海馬」という領域においては自己を「再」生産していることがわかってきました.神経細胞が自己を絶えず「再」生産することができることによって,わたしたちは新しいコト,新しい出来事や新しい行動様式を覚えることができる,神経細胞の自己「再」生産過程において,新たな記憶や新たな行動様式の学習がそこに成立する,ということです.
古い神経細胞とりわけ使われなくなったそれは死滅していく一方で,結局,わたしたちは一生の間中,自らを環境に適応させながら,自己を不断に「再」創造し続けなければならないのです.「自・助」努力どころか,不断の自己「再」生産活動こそが,わたしたちを存在せしめている当のものなのであり,わたしたち自身の身体はわたしたちじしんの不断の「再」創造行為の産物であり,わたしたち自身が自然物であると同時にまたヒト自身がそれを作っているという意味での人工物でもあるのです.
自然と人工とは,かくして不可分に重なり合っています.自然システムと自然・内・ヒトシステムとは,共に・ある,不可分なものとし,協働態として<共に・努力しつつ・ある>ことによってはじめて「存在する」ことができるのです.
わたしたちを取り巻く人工物だってそうでしょう.わたしたちは自分自身の環境を不断に「再」生産し「再」構築し直しています.あなたの住む家だって,あなたが手入れを怠った瞬間に荒れ始めるでしょう.それは,あなたがそれを掃除したり修理したりして絶えず「再・生」せしめているという「不断の努力」を原動力として,また同時に自然素材じしんがもつ「自己保存力(環境変化に対する耐性力,robust性,頑丈さ)」とがあって,つまりは,自然とヒトとが,不断に協働する,補完しあい助け合うことによってはじめて,あなたが住む家は,ヒトが居住可能な家として「存在している(生きている)」といえるのです.
第3の自然としてのヒト社会=古代的マクロコスモスとしてのヒト社会 古代社会は,@氏族:いわゆる大家族で,その中での通婚は禁止されている,A胞族:ある程度の血縁関係をもつ複数の氏族の集合,B部族:胞族の同一地域内の集合,といった,個から家族を経て部族へと至る,多くの階層をもっていたものと思われます.大河や長い海岸線をもつ地域,あるいは人口の稠密な地方では,複数の部族が交流しまた連合して,ポリスつまり都市国家を作り,それが文明の「はじまり」となっていったのでしょう.
コミュミケーション行為の起源 わたしたちの日常がそうであるように,家族内のコミュニケーション行為やらご近所づきあいやらにおいては会話が主であって,そこに「文字」 -わたしたちが日常的に「読み・書き」<する>ことに使う言葉すなわち言語システムの要素- が必要になることは,ほとんどありません.それが必要になりはじめるのは,まず部族単位での交渉ごとや,ポリス(都市国家)間の交渉事において,だったでしょう.それも最初は,オリーヴの枝をかざすことが,平和のための交渉の「しるし」である,といったように,ある種その地域における共通の「記号システム」によって行われていたことでしょう.それが線画や図形を「描く」こと,そして描かれた記号によって何かのイヌージを「想起す」ること,と結びついて,そのメッセージを記録しそこからメッセージを読み出す,というロゴス・システムの要素になりはじめたのは,さて,いつ頃のことだったのでしょう.
会話によるコミュミケーション行為についていえば,現代でもピジン語の存在が示すように,数世代で日常会話には不自由しない自然言語システムがそれこそ「自然に」成立することから,10万年前から,それがあったことはまず確実でしょう.この日常的コミュミケーション行為の「存在」こそが,ヒトをヒトたらしめる原動力となっていたことは明らかです.農業革命によって,大家族や氏族が経験豊富な老人たちを養うことができることができ,それが牧畜や農耕における「技術システム」を成立させます.それと同時に,「技術システム」の重要かつ本質的な要素としての自然言語システムは,それとともに「技術システム」を伝承する「語り部」といわれる人びとを発生させ,その存在によって次第に洗練され,ついには伝説や神話を生みだしていったのでしょう.