自由エネルギー(=情報)論
現代自然学の「第2の原理」(2nd principle of modern dynamics) 自然学の「第1の原理」が4元運動量の保存則だ,ということは先にもいいました.自然学の「第2の原理」というのが,運動量が完全に保存される相互作用の諸過程における「エントロピーの増大の原理」と呼ばれるものであって,それは,相互作用している1つのシステムに含まれる「自由エネルギーの量=情報量(運動がモノのカタチを作り出す,その秩序性を表現する自然学的量)が不断に減少していく」ことでもあります.
これをイノチあるモノに適用してみましょう.1つの動力学的ハイパーサイクル・システムが運動し続けるためには,それを運動させる原動力(デュナミス)としての自由エネルギーが必要不可欠であって,それは外からの,より秩序ある運動の量の「流れ」によってのみ補給されることができます.動力学的ハイパーサイクル・システムは,外からのより秩序ある運動の量つまり自由エネルギーの量を与えられ,それをいわば「食べる」あるいは「消費する」ことによって,その活動を「行い」続けることができるということです.
例えば,太平洋上に「台風」とよばれる巨大な動力学的ハイパーサイクル・システムが成長できるのは,太平洋では,そこに蓄えられた膨大な熱源から不断に発生し続けている上昇気流とよばれる小さなしかし多くの動力学的ハイパーサイクル・システムを,いわば「貪食する」ことができるからです.1つの台風は,いわば多くの小さな台風の卵たち,を貪り食うことによって,自らを巨大化している,ということです.
わたしたちの身体だってそうです.食物に含まれるアミノ酸,糖類,脂質などの諸分子を燃やして,そこに発生した「秩序ある運動性」をATPと呼ばれる分子に蓄え,それを分解することによって得られる自由エネルギーによって,身体内細胞内の全ての動力学的ハイパーサイクル・システムが駆動され,そのことによって,動力学的ハイパーサイクル・システムは自己を「再」生産するすなわち「再」創造することができるのです.
不断に自由エネルギーを消費し続けることによって,不断に「再」創造され「再」活性化されうる無数の動力学的ハイパーサイクル・システムが存在しているということ,それらが不断に自己「再」生産活動を「行っている」ということ,それが,わたしたちが「今・ここ」に現に生きている,ということなのです.現実に存在するモノとは,その全てが,こうした無数の動力学的ハイパーサイクル・システムの結合体あるいは協働体のことです.すなわち,あらゆる自然のモノとは,自由エネルギーを消費して「行われる」ところの,動力学的ハイパーサイクル・システムの不断の「再」創造過程としての活動態であり,それらの統合態なのです.
「存在」と「無」との狭間に存在するわたしたち わたしたちの身の回りの空間,そこには空気の分子たち,多くの酸素や窒素や炭酸ガスの分子たちが忙しく飛び交っていますが,わたしたちには,それ全体が,静謐な,<全く・何も・ない>場所,に見えます.物理的真空だって,そこには多くの素粒子たちが揺らいでいますが,外見上はいかなる実体もそこには<全く・何も・ない>ように見えます.つまり,多くのミクロな動的実体のランダムなつまり無意味な運動を平均すると,その全体の運動は,結局は「0」になってしまいます.
有象無象としての多くの動的実体が何を言おうが,それを平均すれば,全く何も言ってないに等しいわけで,それが持つ有意味かつ有意義な情報量は「0」でしかありません.要は,そりゃ「雑音」にすぎず,総体としては「無・視」することができます.要は,カオス(混沌)とは,それをこちらが気にしなきゃ,全く苦にはならない,というわけです.
そうした混沌(無)から,自由エネルギーの「流れ」によって,何かしら有意味なモノが出現することができる,それが動力学的ハイパーサイクル・システムのロゴスが「存在する」ことの意味と意義なのです.そうした動力学的ハイパーサイクル・システムの形成する原理こそが,それを構成する諸要素が,無意識的にせよ意識的にせよ,相互無危害性と相互善行性原理に基づいて行動している,ということなのです.それが自然のわたしたちに対する「善・意」の存在です.そうした原理が侵犯されるようなモノについては,それを「悪・意」を持っている,とわたしたちはほとんど本能的に認識することができます.
幸い,私たちは,カオス(混沌)の存在を「無・視」することができるし,コスモス(秩序)の存在にのみ「注・目」しそれを「認識する」ことができます.要は,わたしたちはこの自然に「善・意」と「悪・意」とを見出し,それを区別し,善意には善意で応えることができ,悪意はこれを「無・視」しそれから遠ざかることができる,そうした「よく・生きるための・技術システム」を持って生まれてきているのです.自らの存在に資するものすなわち善,自らの存在をおびやかし無に帰せしめるものすなわち悪です.この「善・悪」の区別識別能力,つまり,カントが「内なる道徳律」とよんだものが,自然が産み育ててきた自然の賜物でなくて一体,なんでありえましょう.
全ての動力学的ハイパーサイクル・システムは,生・老・病・死するという,1つのライフ・サイクルをもつ 「無」秩序から「有」秩序すなわち「存在」が出現するいちばんわかりやすい例が「渦」運動です.空気の熱,つまり気温って,高速で運動する分子たちが作り出しています.その熱に小さな不均一さがあると,つまり小さな温度差があると,その場に小さな自由エネルギーの「流れ」が発生します.その自由エネルギーの「流れ」を消費することで渦運動が成長しまたそれらの多くが集合して,高気圧や低気圧とよばれるよりマクロな渦運動が発生します.
その巨大化したものが台風,ハリケーン,サイクロンと呼ばれます.彼らは,まるでイキモノのように「自ら動く」ことができます.自ら動くことができる渦運動体,それがマクロな動力学的ハイパーサイクル・システムの一例です.
台風にも一つの生涯(ライフ・サイクル)があるように,あらゆるモノ(=動力学的ハイパーサイクル・システム)にはその一つの生涯(ライフ・サイクル)があります.その不断の自己「再」創造過程が次第に衰えるのが,その「老い」であり,その不断の自己「再」創造過程が破綻しはじめるのが,その「病」であり,その不断の自己「再」創造過程がやがて停止するのが,その「死」です.
生命の自己増殖過程は,動力学的ハイパーサイクル・システムによって制御された動力学的ハイパーサイクル・システムの自己増殖過程である DNAに書き込まれた情報としての遺伝子はそれだけで考えると何のイキモノでもありえません.しかし,遺伝子情報がRNAに転写され,そのRNAに転写された情報が,タンパク質に翻訳され,そして,このタンパク質がDNAを複写すると,結局,DNAは自己増殖することができるようになります.この自己増殖過程に対応する動力学的ハイパーサイクル・システムは,ATPに含まれた自由エネルギーを消費することによって回転します.
さらに,このDNAの自己複製の「行う」過程は,PDCAサイクルによって,最適に制御さえされるのです.存在環境がよくないとこの自己増殖過程は機能せず休止したままです.環境状態がよくなれば,この動力学的ハイパーサイクル・システムの回転にスイッチがはいり,それは活動しはじめます.自己複製し,その自己複製する「行い」を最善最適に制御することができる遺伝子たち,それがミクロな動力学的(化学的)ハイパーサイクル・システムの一例です.
あらゆるイキモノは,こうしたミクロな動力学的ハイパーサイクル・システムから成り立っています.この自然世界は,素粒子のミクロレベルから,諸天体のマクロレベルにいたるまで,こうした動力学的ハイパーサイクル・システムで満ち満ちているのです.つまり,1つの動力学的ハイパーサイクル・システム=1つの生命の種子,であるといえましょう.
自然の万物は「活・物」である 「完全に静止したモノ」つまり「完全に死せるモノ」が<ある>なんてものは,もはや近代「科」学が創り出した「迷・信」というしかありません.前にもいったとおり,4元運動量は「厳密に」保存されていますから,運動は不生不死です.運動するコト,それこそは「永遠の存在」であり,存在するというにふさわしい存在といえるでしょう.
またこの宇宙は138億年前に,たった1つの「点」から始まった,と考えられています.したがって,この宇宙は,時空的には有限な限界をもっています.無限「大」ではなくて,有(限)界なのです.この宇宙の時空は今のところ膨張しつづけていて,したがって,4元運動量の密度は次第に低くなり続けてはいますが,それが厳密に0になる,つまり静止するにはそれこそ「無限(大)の時間」がかかるはずですし,また量子力学の基底状態は0点振動とよばれる「量子的ゆらぎ」であり,これはプランク定数/(2π)の1/2で,厳密に0には絶対なりえません.したがって,この宇宙においてモノが「厳密に」静止するなどということは,永遠にありえません.
あらゆる自然のモノは,かくて運動し続ける他にはありえず,かつまた,運動の<全く・ない>ところにいかなるモノもまた<決して・ない>のです.この自然において,モノが・存在する,とはそれが運動態として<ある>ことであって,完全に静止しているモノつまり死せるモノとしてあるのでは<全く・ない>のです.
多階層的動力学的ハイパーサイクル・システムの形成・存在・進化の原動力としての自由エネルギー 20世紀の後半,DNAが発見されて,進化論の様相は一変しました.DNA上のゲノム情報に「進化の歴史」が,平たくいえば「進化系統樹」が,いわばそのまま「書き込まれている」のですから,現生物の存在そのものが,生物の進化の過程の「生きた証拠」なのです.わたしたちじしんの生物としての存在そのものが,生物の40億年にわたる進化の歴史を,そのままに証言しているのです.
ヒトが唯1種の自然種であるということも,一切の人種差別も階級差別も生物学的な根拠が<全く・ない>ということも,もう疑う余地のないことです.いまや,あらゆる宗教的狂信や妄信は,ただ消え去るのみ,でしょうし,そうあってほしいものです.
さらに,この大宇宙そのものが,138億年前のビッグ・バンから進化してきた,という証拠も,3度Kの黒体輻射の存在や,宇宙膨張による赤方変異として,次々と発見されてきました.この大宇宙そのものが,自らを生成し・自ら運動し・自らを進化せしめてきたのですから,その部分である太陽システム,地球システム,そしてその上の生態システムも,進化しないわけにはいかなかったのです.進化をとめることは,すなわち絶滅ただあるのみ,だからです.
そして,その進化の基本原理,進化の原動力こそが,わがいう動力学的ハイパーサイクル・システムの,ミクロコスモスからマクロコスモスに至る自然の全階層における,遍在であり,その動力学的ハイパーサイクル・システムの形成の原理が,それらの構成要素が,相互無危害性原理と相互善行性原理において<ある>こと,つまり,自由・平等・友愛そして平和の原理を目指して<ある>こと,なのです.
今では,高校化学教科書でさえも,もう有機質と無機質との区別は,そこに「炭素原子」が含まれているか否かの差にすぎない,と習っているはずです.近代化学成立「以前」にはたしかに,有機質とはイキモノの本質のことであり,無機質とは「死せる物質」のことで云々,という区分がありましたが,それはもうありえません.つまり,自然の内にあるあらゆる物質は全て「活・動・中」として<ある>のであって「死せる物質」などはこの世の中にはもう<全く・ない>のです.自然の内なる全てのモノは生きている,何らかの意味で「活・動」している,のですから.
いわゆる「生命」は,この地球上には,40億年前に誕生した,といわれています.「生命の起源」を,ごくごく単純化していうと,最初のそれは,自己増殖するRNA分子そのものだったので,それが次第にDNAとタンパク質に分化し,DNAがRNAを作り出し(転写する,transcript),RNAがタンパク質を作りだし(翻訳する, translate),そのタンパク質がDNAを作り出す(複写する,copy)・・・という,ハイパーサイクル・システム(Hypercycle system,超・循環運動)を構成することによって,永遠に生きるもの,自己増殖するもの,となっていったのです.
この動力学的(化学的)ハイパーサイクル・システムという考えかたは,直接には,ノーベル化学賞を受賞したドイツの化学者のアイゲン(M. Eigen)という人の提唱したものですが,その起源は,プラトンの『ティマイオス』にある,「生きた3角形=魂の元素=光(純粋な火)」からきています.プラトンの「イデア」あるいは「ティマイオスの夢」が,現代ようやく「現実のもの」になることができはじめたのです.
1個目の(DNA⇒RNA⇒タンパク質)⇒2個目の(DNA⇒RNA⇒タンパク質)⇒・・・と,ハイパーサイクル・システムが自由エネルギーを供給されて1回転する毎に,1個の生命が産み出される,ということです.つまり,イノチ(生命)とは,自由エネルギーを供給されるとそれを消費して「1つの[循環運動を『行う』ことができる]システム」です.この自然のあらゆるモノの,それぞれの活動態(エネルゲイア)が,それぞれの,そのイノチの表現そのものなのです.
動力学的ハイパーサイクル・システムにはよき(理想の)あり方がある 「善(よい)/悪(よく・ない)」といっても,ヒトの単なる恣意的空想のみに係るものではなく,「善」とはそこに価値創造的な正の動力学的ハイパーサイクル・システムが存在することによって(つまり,ミツバチと花のような「共・生」関係がある場合として)示され,「悪」とはそこに価値破壊的な負の動力学的ハイパーサイクル・システムの存在することによって(つまりヒトの身体に「寄生虫」がいたり,「感染症」が発病していたりするような場合として)示される,としてキチンと定義できます.
人間が呼吸できているのも,原始的細胞,原核生物,バクテリア -今は細胞内に共生してミトコンドリアと呼ばれる細胞内小器官になっています- が古代に発明した,プロトン・ポンプによって,その回転運動によって,エネルギー通貨と呼ばれるATP,あらゆる生命体に対する自由エネルギーの供給源,を作り出しているからです.わたしたちだけでなく,あらゆる生命体といわれるものはみんな,自由エネルギーを供給されて活動するミクロな渦運動あるいは「慨」周期運動に支えられてはじめて生きていることができる,ということです.万物の「活・動」力の源泉,すなわち自然の全「原・動」力は,すべて自由エネルギーであり,それ自身もまた動力学的ハイパーサイクル・システムが,これを作り出しているのだ,ということです.かくして,自然は,自らが自らを,自らが創造したものによって自らを養いつつ,存在し続け,あらゆる自然の事物は自然の内に他の自然の事物と共にあることによって,つまり共生することによって存在しまた自然と共に進化し続けることができるのです.