古代自然学の起源
古代文明の普遍性と古代自然学の萌芽としての神話や伝説 ギリシア古代では,神的なものとは,不死なるイキモノの意でした.ヒトは死すべきイキモノ(動物,自ら動くモノ)ですから,不死なるものとは永遠に生きるモノ,要は,永遠に運動し続けることができるモノ,の意です.自然は,日周運動,月周運動,年周運動などにおいて永遠の循環運動の内にあると考えられましたから,それじしんが神的なイキモノ(動物)であって,天にあって自ら動くものである太陽・月・惑星・星々もまた,不死なるイキモノでありました.
大地が産みだした巨人いわゆるティタン族もまた,不死なるイキモノであり神的なイキモノであると考えられたのですが,そうしたティタン族のうちに,人類に火をもたらしたプロメテウスがいます.巨人族,大地が産みだしたヒトより大きなヒト,これは古い氏族社会の象徴だったのではないでしょうか.
氏族はそれを構成する人びとが次々と死んでいくにもかかわらず,それを継承する人びとが生まれてくる限りは,永続することができます.古代の人びとは,1つの氏族としての全体を,1つの大きなイキモノ,不死なるイキモノ,神的なイキモノである,と考えたのです.火を発見してそれを不断に継承しつつそれを使う「技術」を知っていた氏族,それがプロメテウス(先見性をもつヒト)と呼ばれたのではなかったでしょうか.
古代日本でも,1つの氏族がそのまま=神,つまり「氏・神」であった,と考えるのが自然です.また,1つの氏族がある種の有力な「技術システム」(たとえば「陶器」作り)を継承していれば,それだけで1柱の有力な神(たとえば「陶(すえ)」氏)として他氏族つまり他の神々から尊敬されうる神であることができるのです.
「柱」とは,氏族の「住い」の中心にあったであろう「心御柱」であり,それは氏族の文字通りの「中・心」でありその象徴(シンボル)でもあったのでしょう.「八百万の神々」のそれぞれが氏族の象徴だとすれば,多くの氏族が集まって,1つのポリス(国家)を作り上げていた,という古代社会の様相が,そこに象徴されているのではないでしょうか.
なお,アマ(天,アメ)に対抗するものがツチ(大地)であり,それを象徴するのが万物を産み出すものとしての女性原理(ウズメ)であり,その下にさらにヨミ(黄泉,つまり地下世界)がある,というわけでしょうか.男性原理と女性原理の両方が,何ものかが何物かを「産む」という「行い」において必要不可欠であることは,世界共通普遍に知られていたことでした.
エジプト,メソポタミア,インドにおける古代神話 スフィンクスはギリシア神話に出てきます.オェディプスに「朝は4本の足で歩き,昼は2本足で歩き,夕方は3本足で歩く動物は何か」という謎をかけようとしてそれを解かれて崖から身を投げて,石になった,という話ですが,地中海世界に属するアフリカ,とりわけエジプトでは獅子(ライオン)は王権の象徴だったのではないでしょうか.実際,現在も残るそれはファラオの顔と髪形をしています.
インド大陸にも獅子(ライオン)がいたそうです.これは「インド虎」のまちがいじゃないか,とも思いますが,アショーカ王の建てたという鉄柱に載っている獅子は,さて一体どんな顔や髪形をしているのでしょうか.
狛(高麗)犬は,日本化された獅子です.しかし日本でシシというとそれは実は「イノシシ」だったので,お祭りの時に出るシシ舞は,イノシシの牙があってしかもシシ鼻(要は豚の鼻)でしょう.
インドにも雨(あめ)⇒天(あま)に関係した連想があります.「水・天」宮なんかがそうです.空が青いのは,そこに水があるから,というわけです.この水天にある「水」が天体を養っているからこそ,諸天体は自ら動くことができる,つまり生きている,と考えられたのです.
インド古代では,ナーガ(竜蛇)とはキング・コブラであって,生態系の頂点にあり,それは「地上の王者」でありまた「知恵の象徴」でもありました.象をも倒す猛毒をもっており,地上を這うものとしては最強の動物だったのです.ガルーダは,孔雀のことで,これは蛇を好んで食するので,ナーガ(蛇属の長)の天敵とされていました.つまり,ナーガとガルーダは,地上の覇権を相争って永遠に戦いあうものども,の象徴でありました.
その争いは,「水 -竜の住処-」と「風 -鳳凰の住処-」という2大の相剋である「暴風雨」にも例えられました.ナーガとガルーダは,自然の破壊力の,その象徴ともなっていきました.これが,中国において,竜(「水」の王)と鳳凰(「風」の王)とが自然(天地)の破壊力の源泉でありその支配者である,として人びとにも祭られる,その祖型(アーキタイプ)になっていったのではないでしょうか.
エジプトでは,(水)蛇は文字通り水の象徴であり,ナイル川を定期的に氾濫させ,大地を肥沃にする役割を担わされていた,と考えられます.太陽は,その肥沃になった大地を乾かし,収穫をもたらす,ということで天上にある善きものの象徴とされたのでしょう.そして太陽は,この大地から不断に蒸発する水によって養われて輝くことができる,と考えられたのです.ギリシア古代にタレスが,万物の根源,つまり全ての産み出すものとしての自然の,その本性は「水である」といったのもこの連想からかもしれません.
古代自然学は研究しますと,その背景には,典型的にはギリシア神話 -それらは,近代人によって編集されたので,比較的合理的な部分しか残っていないのですが- に見られるような,膨大な古代的「幻想」,ありていにいうなら「迷・信」ともにあった,ということが判明します.ブルクハルトなどがその内容を紹介していますが,その中で,よほどマシな部分,現代人からみていわば「最良の部分」といえるものが,ミレトス学派にはじまり,プラトン,アリストテレスによって集大成された,古代自然学なのです.
自然に遍満する動力学的ハイパーサイクル・システムの再生と再死 再生と再死とは,そこにいかなる神秘もなくて,全ての自然物の生成・運動・変化・消滅の諸過程の,その謂いにすぎません.自然の全事物は,138億年前のビッグ・バン以来連綿と,生成・運動・変化・消滅を繰り返しつつ,また進化し続けてもきたのですし.光と闇とが定期的に,周期的に,秩序正しく,自然のロゴスにおいて交代してこそ,自然の恵みはあるわけで,そこにヒトの恣意的な「小賢しい」善悪の区別など入りようがありません.
この世界のあらゆる事物は「慨」周期的循環運動,不一不異的な運動,をしているので,それがあたかも自然の事物が絶えず「再・生(当然それは「再・死」でもある)」しているように見えるのです.去年も今年も,いや,地球にこのように大量の水がある限りは半永久的に,台風が1号からン号まで,繰り返し,「再」発「生」するようなものです.
地球上で,わたしたちヒトにとっての「存在の場」というのはこの大地です.それもミクロには活発に運動していますが,マクロには完全に静止しているように思えます.しかし,そのマクロな静止状態といえども,全地球的規模では長期的な(数億年単位の)サイクル(周期)でゆっくり動いているので,その循環運動のヒズミが次第に溜まっていく.それが解放されると,今回のような大地震が起きる,というわけです.
このように,この自然には「慨」周期運動が遍満しています.それが,ヘラクレイトスのいう「万物流転」です.そして,この正体とは,動力学的ハイパーサイクル・システムの,ミクロコスモスからマクロコスモスに至る自然の全階層における普遍的存在,だったのです.
文字の起源 文字すなわち記号,それは自然の事物の「行い」を「記し(記憶し)」必要に応じて「読む(想起する)」ためのヒトの「行い」の結果ですが,その起源の探究こそは,まことに興味深い課題であります.『数字の起源』という本があって,ヒトが自然の事物の「慨」周期運動を「数える」というヒトの「行い」の結果としての「数字」の起源についてはいささか調べたことがありますが,文字の起源一般についてはまだ十分に調べたことがありませんでした.
ギリシア文字の起源であるフェニキア文字,ヘブライ文字の起源であるメソポタミア文字あるいはエジプト文字,インド文字(サンスクリット語)の起源であるブラフミー文字,中国文字すなわち漢字の起源である金石文字,等々の古代文字には,「何となく」共通性あるいは普遍性がありそうです.自然の中のただ一種のヒトの「行動の構造」において,文明間で本質的な差異があるはずもないから,「あたりまえ」といわれれば「あたりまえ」ですが.
暦から古代天文学の成立へ 中国古代天文学の成果であるところの,『史記』の中にある「天官書」はあくまで「書」であって,文章や表による「記述」ですから,具体的な「図」示があるわけではありません.それをもとに後世があれこれと,空想やら迷信やら,尾鰭を付け加えて「可視化」したものが,今も残っていのです.
アステカでは,完全な太陽暦が行われていたということを聞いたことがあります.もしそうなら,各太陽分点に24節気(「立夏」「芒種」など)に相当するような図形,シンボル,記号,神的な(=不死なる)ロゴス(コトバ)を,それぞれ配置したのでしょう.
ロゴスとは,コトバ,記号,デザインされたもの,図形,等々,動的な自然現象の中にあって,比較的不変なものを表す,変転極まりない自然現象(自然の諸事物)を分類する,きわめて広い概念です.この自然の内に,そうした永遠不変な記号によって表現されるにふさわしい,真に神的な,つまり永遠不変な,真実の法則性を見出すこと,つまり自然法則を探究することであり,それがわが「メタ自然学」の意味と意義なのです.
時間は,古代において世界を動かす原動力として考えられた 時間についてですが,時間とはやはり神的なロゴスに分類されます.ギリシア古代においては,クロノス(時間)が世界を動かす,神的な=不死な,死すべきモノとしてのヒトに対立する,この不死なる自然の永遠の原動力であり「不動の動者」である,と考えられていました.それは,自然=神,そして自然の事物の運動が,その内においてわたしたちヒトをはじめ,全ての自然物を作り出すのであって,この運動する自然それ自身が,この自然の創造者である,ということを表現しているにすぎません.
現代において時間は,運動<を>作りだす原動力ではなく,むしろ逆に,運動<から>作りだされたものであることがあきらかになりました.永遠に存在するということは,永遠に運動し続けることであって,この意味において時間とは,自然の事物の本性であるところの永遠の運動性がこれを作り出したものなのです.そのことは,2500年前に東洋ではブッダが,西洋ではプラトンが,それぞれすでに「解・明」していたのです.古代世界を代表するその2人の物語る,この唯一の自然,を書き物にしたものをそのうち公表いたしますので,ご笑覧くださいませ.
日本神話と,現代にも残る「迷信」 日本の古神道の起源をいうなら,どこの文明にもあるような呪術者やシャーマン,つまり古代的祭祀者,だったのではないでしょうか.そうした人びとが,山叟とか林叟とか呼ばれ,いわゆるムラやサトの人びとに,呪術的医療,今でいうところの要は「厄払い(御祓い)」を施したのが,三羽叟の起源になっていったのです.身近なところでは,獅子舞にサンパサ(三羽叟)という「鬼(獅子)」退治するポジションがあります.「鬼」は災厄の象徴で,それをこらしめる,というのが厄払いとしての獅子舞で,懲らしめられた獅子,モトはといえば鬼は,今度はかえって「厄払い」の象徴として,ムラ人や里びとたちに幸運をもたらすものとなる,というわけでした.
インドでも,古代仏教あるいは原始仏教は,古代的医療としての「邪気払い」つまり「呪術」の役割をも担っていたのでした.日本では,そうした役割が,中国伝来の国家仏教にすっかり奪われてしまい,結局,旧来の呪術者や祭祀者たちは,役の小角のような,仏教を守護する補助的な役割,いわゆる山籠もりすることによって修験道を極めようとする修験者たち,の役割を担わされるようになっていった,ということだったでしょう.
古事記や日本書紀,それは中国の史書に影響を受けて成立したのではありましょうが,中国の史書それ自身が,司馬遷などの「反骨」にもかかわらず,当時の支配者である皇帝に「結果的には」おもねった記載しかしていません.滅び去った王朝を批判し,それと比較することによって,現在の王朝を持ち上げるわけですから.
さらに日本では,自然学的な客観性,そして合理性を追求しようという形跡がほとんどないから,結局,当時の豪族たちの中心としての天皇家にまつわる神話や伝説を,集大成したものにしかなっていません.それが明治時代に,人心の支配にいかに「悪用」されたかはご存じのとおりでしょう.
戦前の支配者たちは,多くの人びとを,そうした神話や伝説を「真理である」として教育しました.いわばインチキ宗教によって大衆を教育したのです.それで天皇家やそれを中心とする支配者層を合理化し,それをいわゆる「愛国(?)」思想教育と称したのでした.「竹内文書」などは結局,それらの裏返しでしょう.竹内巨麿は,鞍馬山で千日修行をしたそうですが,それは修験道,日本における道教であり,シンクレティズムそのものです.要は,何でもあり,不可思議なものは何でも神様仏様,というわけです.それらの加護を受けていると称して,自分の教祖としての地位を合理化しようとしたのです.しかも,それが「霊感」によって無意識に行われ,本来正直者の当人は,それをホンキで信じているから,全く始末に悪いことになるのです.その「古代史の謎」だって,ありていにいえば完全なインチキ,「真っ赤な嘘」でしょう.狩野亨吉,橋本進吉,といった連中が「偽書」と判定しています.
わたしは当時の「学者」とよばれる人びとを必ずしも全面的に信用するわけではありません.しかし,狩野亨吉は,江戸時代の「異端の思想家」の安藤昌益の書を世にだしたくらいで,天皇制護持を旨として,それを「偽書」と判定するような不公平な輩ではなかったと思われます.橋本進吉は,西洋的言語学の紹介者ですから,自分の学問のあり方に反してまで,不公正な判定をするも思えません.また,竹内巨麿の「教義」たるや,修験道の「役の小角」の「空中飛行」をとりいれた荒唐無稽なものであってしては,なおのことでしょう.それらは現今の新興宗教と同様に,全く信ずるに足りないものです.現代に残る「無知と貧困と野蛮」を克服しようとするならば,まず,わたしたちのココロの奥底に巣くう「無知」,とりわけ「古代の黄金時代,つまり過去のユートピア(どこにも<全く・ない>場所)への幻想」を,キッパリと捨て去ることからはじめなければなりません.